賀茂神社_(鳥取県南部町)とは? わかりやすく解説

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賀茂神社 (鳥取県南部町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/05 08:35 UTC 版)

賀茂神社
所在地 鳥取県西伯郡南部町倭3
位置 北緯35度20分59.4秒 東経133度19分54.6秒 / 北緯35.349833度 東経133.331833度 / 35.349833; 133.331833座標: 北緯35度20分59.4秒 東経133度19分54.6秒 / 北緯35.349833度 東経133.331833度 / 35.349833; 133.331833
主祭神 別雷命
社格 郷社
創建 不詳
本殿の様式 大社造
別名 賀茂大明神
賀茂両社
賀茂下上大明神
例祭 10月19日
地図
賀茂神社
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賀茂神社(かもじんじゃ)は鳥取県西伯郡南部町倭にある神社。 旧社格郷社[1]

由緒

創立年代不詳。京都賀茂別雷神社より御分霊を奉遷して大平山(おおなるやま)の頂上に鎮座していたと云われる。その後、同山の中腹小平という所に遷り、さらに同山の麓に奉遷したと伝えられる[1]

戦国時代尼子経久伯耆国を領有すると、崇敬篤く社領100石が寄附された他、度々参拝して祈願、奉幣、社殿造営が行われたが、尼子氏滅亡と共に当社も次第に衰微した[1]江戸時代1733年享保18年)鳥取藩池田氏より社領高10石の寄進があり、1872年明治5年)4月郷社に列せられ、1907年(明治40年)2月3日神饌幣帛料供進社に指定された[2]。猪小路、北方、原、小原、新庄、上阿賀、下阿賀7ヶ村の氏神であり、近世まで賀茂大明神と称した[3]

1916年大正5年)5月に大国村大字北方字宮ノ峠ノ山鎮座の無格社北方神社、同村大字原字客ノ前鎮座の無格社小原神社、1917年(大正6年)4月30日天津村大字阿賀字王子﨏山鎮座の無格社阿賀神社、同村大字同字トヲベン神田鎮座の無格社田邊神社を合併した[2]

境内社

糺神社(ただすじんじゃ)は本社と同時の創立と思われ、本社と併せて賀茂両社、あるいは賀茂下上大明神と称されていた[2]

鷺神社(さぎじんじゃ)の創立年代は不詳[4]。もと雲伯の国境渡田峠、通称疱瘡ヶ峠と称する所に鎮座していた。古来疱瘡神として信仰篤く、旧藩主池田氏の祈祷所であったと伝えられる[2]1897年(明治30年)10月失火により社殿が焼失したが1905年(明治38年)5月に再建された。1916年(大正5年)猪小路鎮座の田中神社(祭神:磐長姫命)を合併し、1917年(大正6年)に渡田峠より現在地の賀茂神社境内に奉遷した[4]。 もとの場所には小祠があり祠内に疱瘡地蔵が祀られ[5]、小祠の前には1825年文政8年)6月の御神燈が残されている[4]。現在の祭神は稲背脛命であるが『伯耆志』に「祭神は束積の鷺神社に同じ」とあるため、もとの祭神はスサノオであった可能性がある[4]

祭神

主祭神
配神

境内

境内神社

現地情報

所在地

交通アクセス

脚注

参考文献

  • 石破洋『イナバノシロウサギの総合研究』牧野出版、2000年6月1日。 
  • 鳥取縣神社廰 (2024年). “賀茂神社”. 鳥取縣神社廰(公式ホームページ). 2024年12月24日閲覧。
  • 鳥取県神職会『鳥取県神社誌』鳥取県神職会、1935年、474–475頁。 

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