豆戦車型UE
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 10:05 UTC 版)
騎兵部隊用の偵察車輌として、1932年、1両のルノーUE(シリアルNo.77982)が機銃付きの「全地形用軽機銃車(Automitrailleuse légère de contact tout terrain)」に改造された。これは車体右側の車長席に箱型の装甲を増設、前面に機銃用ボールマウントを設けたものであった。これは結局採用にはならず、より大型のルノーVM(後のAMR 33)が作られることとなった。 1936年8月、中国国民党政府より10両の機銃搭載型UEの発注があり、同様のAMX製固定戦闘室を搭載した「中国型」が製作された。残された写真資料から判断すると、初期のUE(シリーズ3)ベースで、角ばった防盾を備えたタイプが中国軍によって使用されている。一方、UE2ベースでボールマウントを備えたタイプも製作され、仏領コーチシナの植民地軍によって使用された。中国に到着するはずだった武装型UEが日本の干渉により足止めされ、代わってフランスの植民地軍の手に渡ったとの説もあり、実際には届いたものが未着と誤解されたのか、あるいは植民地軍が使用したUE2ベースのものは中国からの追加発注分だったのか、明確ではない。 自由フランス軍が、ルノーUEの車体後部に「SA34 オチキス25mm対戦車砲」を搭載している。 1943年5月よりイギリスで、戦力不足に悩む自由フランス軍が、「ルノー UE2」にイギリス製の「50口径 6ポンド(57mm)対戦車砲 Mk.IV」を搭載した対戦車自走砲「ルノー UE 57」を試作している。牽引式の対戦車砲と比較して利点が無かったためか、試作1両のみで量産はされなかった。要員は車長、操縦手、砲手、装填手の4名。車体後部両脇に弾薬箱を設置している。重量2.79トン。
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