警視庁独身寮爆破事件
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警視庁独身寮爆破事件 | |
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場所 | |
日付 | 1990年(平成2年)11月1日 - 11月2日[1] (UTC+9) |
概要 | 革労協が警視庁独身寮に時限爆弾を設置し、9人を死傷させた[2]。 |
攻撃側人数 | 不明 |
武器 | 時限爆弾 |
死亡者 | 1人[1] |
負傷者 | 8人[1] |
犯人 | 革労協[1] |
容疑 | 殺人、爆発物取締罰則違反[1] |
動機 | 即位の礼・大嘗祭に対する反発 |
対処 | 警視庁公安部と新宿警察署特別捜査本部が捜査(公訴時効成立[3]) |
管轄 |
警視庁独身寮爆破事件(けいしちょうどくしんりょうばくはじけん)とは、1990年(平成2年)11月1日から2日にかけて東京都で発生した爆弾テロ事件。警視庁公安部は日本の新左翼の革労協が起こした事件と見ている。報道などでは警視庁寮爆弾テロとも呼ばれる[4][5]。
有力な情報が得られないまま捜査は難航し、2005年(平成17年)11月に公訴時効が成立し、未解決事件となった。
事件の概要
清和寮事件
1990年(平成2年)11月1日午後10時50分頃、東京都新宿区にある警視庁の独身寮「清和寮」で爆弾が炸裂し、新宿警察署員1人(当時48歳)が死亡した[6]。この爆発音を聞きつけて、寮に住む警察官や賄い人が現場に集まったところ第2の爆弾が炸裂し、8人が重軽傷を負った[1][6]。
その後の捜査で、この時限爆弾は、意図的に異なる時間設定をしていたことが明らかになった[注 1]。つまり1回目の炸裂で死傷者が出なくても、爆発音で駆けつけた人々に2回目の炸裂で確実に被害を与えるようにしたのである[8]。
誠和寮事件
清和寮事件から2時間後の11月2日午前0時50分頃、世田谷区にある警視庁の「誠和寮」でも爆弾[注 2]が発見されたため、炸裂前に爆発物処理班が駆けつけて処理した[1][9]。処理中に爆発したが、寮内の住人は避難していたため負傷者はなかった[1][9]。
犯行声明
その後、革労協の「革命軍軍報」が各報道機関に郵送された[10][11]。 この「軍報」には「即位の礼、大嘗祭爆砕、皇居攻略に向け史上空前の厳戒体制を打ち破り『天皇の警察』を徹底センメツする偉大な歴史的戦闘を闘いとった」などとこの事件の事実上の犯行声明が書かれていたことから、公安部は革労協によるテロ事件と断定した[10][11]。
捜査
警視庁公安部は新宿警察署に特別捜査本部を設置、時限装置の部品や構造から革労協の犯行[注 3]と見て本格的な捜査に乗り出した[13][12]。また、誠和寮事件で爆弾が発見される直前、5人の不審な男が走り去るのを近隣住民が目撃していたため、重要人物と見て捜査を進めた[14]。
1990年11月11日、警視庁公安部は明治大学の学生会館と学苑会室を本事件の拠点と見て殺人、爆発物取締罰則違反容疑で捜索、機関紙やビラなど42点を押収した[15][16]。
その後も警視庁公安部は革労協に対して延べ16万4000人の捜査員を投入して革労協の非公然アジト8カ所を捜索する等捜査してきたが、実行犯を特定できず、2005年(平成17年)11月に公訴時効が成立した[17]。
時効成立後
2009年(平成21年)11月12日、平成の今上天皇が在位二十年記念式典を機に、本事件等反皇室闘争の名の下に行われた新左翼によるテロの犠牲者やその遺族たちにお見舞いの気持ちを伝えられた[18]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j 『朝日新聞』2005年11月1日 夕刊 1社会15頁「警視庁「清和寮」の爆破事件時効に(朝日新聞東京本社)
- ^ 『日本経済新聞』2005年11月1日 大阪朝刊 社会面16頁「東京の寮爆発、警官ら9人殺傷、時効」(日本経済新聞大阪本社)
- ^ 『毎日新聞』2005年11月1日 東京朝刊 社会面26頁「東京・新宿の警察官寮爆破事件:公訴時効を迎える--90年に発生」(毎日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』1990年11月2日 夕刊 1社23頁「「即位」の治安に衝撃 「裏」をかかれた厳戒 警視庁寮爆弾テロ」(朝日新聞東京本社)
- ^ a b c 『朝日新聞』1990年11月4日 朝刊 1社31頁「触発式の起爆装置、時限式と併用 警視庁寮爆弾テロ」(朝日新聞東京本社)
- ^ a b 『読売新聞』1990年11月2日 全国版 東京朝刊 一面1頁「爆弾ゲリラで警官1人即死 東京新宿署独身寮で爆発、5人重軽傷 過激派と断定」(読売新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』1990年11月6日 夕刊 1社15頁「容器は魔法びん 警視庁寮連続爆弾テロ」(朝日新聞東京本社)
- ^ 「「清和寮」爆破事件 「事件起こす意味あったのか」負傷の警察官語るやりきれない思い」『産経新聞』2024年10月12日。オリジナルの2025年1月22日時点におけるアーカイブ。2025年1月22日閲覧。
- ^ a b 『読売新聞』1990年11月2日 全国版 東京朝刊 一面1頁「爆弾ゲリラ 都内各地で爆発音 警視庁が確認急ぐ」(読売新聞東京本社)
- ^ a b 『朝日新聞』1990年11月7日 夕刊 1社19頁「革労協が犯行声明 警視庁独身寮連続爆弾テロ事件」(朝日新聞東京本社)
- ^ a b 『日本経済新聞』1990年11月7日 夕刊 19頁「革労協が犯行声明 警視庁寮連続爆弾ゲリラ」(日本経済新聞東京本社)
- ^ a b 『読売新聞』1990年11月3日 全国版 東京朝刊 社会31頁「爆弾ゲリラは革労協の犯行と断定 新型"トリック弾"を使う/警視庁」(読売新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』1990年11月2日 夕刊 1総1頁「ステンレス式爆弾か 2現場の破片が一致 警視庁独身寮爆破事件」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『読売新聞』1990年11月5日 全国版 東京夕刊 夕社会23頁「警視庁警察寮連続爆弾テロ 不審な5人が走り去る 住民目撃」(読売新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』1990年11月12日 朝刊 1社31頁「警視庁寮爆破容疑で明大内を捜索 革労協の拠点か」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『毎日新聞』1990年11月12日 東京朝刊 社会面27頁「爆弾テロ事件で明大を捜索 機関紙、ビラなど押収--警視庁」(毎日新聞東京本社)
- ^ 「死傷者9人、警視庁寮爆弾テロ事件が時効成立」『朝日新聞』2005年11月1日。オリジナルの2005年11月3日時点におけるアーカイブ。2025年1月22日閲覧。
- ^ 『読売新聞』2009年11月13日 全国版 東京朝刊 2社38頁「両陛下 殉職警官らに弔意とお見舞い伝達」(読売新聞東京本社)
参考文献
- 『過激派事件簿40年史』立花書房〈別冊治安フォーラム〉、2001年8月。ISBN 9784803714081。
関連項目
固有名詞の分類
平成時代の事件 |
警察庁長官狙撃事件 牛肉偽装事件 警視庁独身寮爆破事件 早稲田大学学生部長宅盗聴事件 凍結乾燥機不正輸出事件 |
日本のテロ事件 |
山陽電鉄爆破事件 戸井田和之選挙事務所襲撃事件 警視庁独身寮爆破事件 風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件 米国総領事館パイプ弾発射事件 |
日本の新左翼の事件 |
東宮御所前爆弾所持事件 革労協書記長内ゲバ殺人事件 警視庁独身寮爆破事件 風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件 米国総領事館パイプ弾発射事件 |
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