風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > できごと > 事件・事故 > 事件・事故 > 昭和時代戦後の事件 > 風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件の意味・解説 

風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/10 23:22 UTC 版)

風雪の群像・北方文化研究施設
爆破事件
場所 日本
北海道旭川市常磐公園(「風雪の群像」)
北海道札幌市北区(北方文化研究施設)
日付 1972年(昭和47年)10月23日
23時30分頃(JST)
武器 時限爆弾
損害 「風雪の群像」の大破
容疑者 「研究会」構成員
(東アジア反日武装戦線「狼」の前身)
動機日本帝国主義」の象徴の破壊
テンプレートを表示

風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件(ふうせつのぐんぞう・ほっぽうぶんかけんきゅうしせつばくはじけん)とは、1972年昭和47年)10月23日に発生した爆弾テロ事件。

後に東アジア反日武装戦線となるグループが起こした事件である(「東アジア反日武装戦線」という名称が決まったのは、この事件の後であるが、本項では便宜上、それ以前の当該グループも「東アジア反日武装戦線」と呼称する)。

事件の概要

北海道旭川市常磐公園にある「風雪の群像」は、北海道百年記念事業として、本郷新、本田明二の製作によるブロンズ像で、「北方文化研究施設」は北海道大学のアイヌ文化研究施設である。

東アジア反日武装戦線は、これらを日本帝国主義の「アイヌモシリ侵略」の象徴とみなし、爆破することになった。特に大道寺将司は北海道出身であり、アイヌ問題に特別なこだわりがあった。決行日は10月23日。この日はシャクシャインの戦いを起こしたアイヌ民族の首長シャクシャイン松前藩によって殺害された日である。

1972年10月23日、彼らは二手に分かれて北海道に到着、それぞれ現地に直行し、午後11時半に爆発するようにセットした。二つの爆弾は時間通りに爆発し、風雪の群像は大破、北方文化研究施設の方は爆発したものの比較的軽微な被害で済んだ。風雪の群像は1977年に修復されて現在に至っている。

参考文献

  • 松下竜一『狼煙を見よ 東アジア反日武装戦線“狼”部隊
読売新聞社・戦後ニッポンを読む、1997年) ISBN 4-643-97116-9
河出書房新社・松下竜一その仕事22、2000年) ISBN 4-309-62072-8

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件」の関連用語

風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS