警備第一部時代
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1952年10月30日の訓令甲第四十二号で、11月5日より、各方面予備隊を名実ともに再統合し、警備第一部(後の警備部)隷下の警視庁予備隊として、警備第一部長の直接指揮下に活動することとなった。またこれに併せて、人員も3,152名と若干増強されたほか、放水車、装甲車を含めた各種装備も拡充された。またこの機会に、第六予備隊が特科部隊(私服、装甲、放水、特務、各中隊)とされた。 1952年の国家地方警察本部の指令にもとづき、都道府県国家地方警察でも集団警備力の整備が進められており、多摩地域や東京都島嶼部を担当する国家地方警察東京都本部でも機動隊を設置していた。1954年の新警察法の公布によって国家地方警察東京都本部と警視庁が廃止・統合されて新警視庁となったのにあわせて、同年7月1日、この機動隊(50名)も警視庁予備隊に吸収されて第8予備隊が編成され、総定員3,160名となった。 その後、警察法改正と客観情勢変化を受けて、1955年1月15日より各隊4個中隊編成であったものを3個中隊編成に変更するなどの改編が行われ、編成要員2,441名となった。また同年2月11日には、第8予備隊は第1予備隊の立川分遣隊に改編された。
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