謹慎事件とは? わかりやすく解説

謹慎事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/11 14:45 UTC 版)

濱野淳 (オートレース選手)」の記事における「謹慎事件」の解説

2003年GIムーンライトチャンピオンカップ優勝後、ある事件発生した最終日当日、濵野の同期である石田智之(浜松オートレース場所属)が第1レース出走した後、第10レース終了後参加解除の手続き受けた。しかし、同期の濵野が決勝戦出場する予定であったため、参加受付の際に預けていた携帯電話受取った後も管理地区内に居残りモニター観戦していた。この段階までならば、単に石田不注意で済まされ問題であった。しかし、問題この後発生する決勝戦終了したのを確認した石田ロッカー内のテレビモニターから離れウィニングランをするために競走路退場口近く待機していた濵野の傍に他の同僚選手とともに駆け寄った。そして、濵野が装着していたヘルメット受け取るなどの介添えをすると共に祝福言葉を掛けていた。その際石田所持していた携帯電話に濵野の先輩選手山陽オートレース場所属。この開催には非斡旋)からの電話着信があった。この時石田自己の携帯電話使用して通話したのち、あろうことか、その携帯電話を濵野に手渡したのである。この開催3連覇したこともあり、濵野は精神的に高揚していた。そんな状況の中で目の前石田が突然携帯電話差し出してきたので、つい反射的に携帯電話受け取り耳に当ててしまったのである。ただ、その時通信状態が悪く既に電話切れていたために、通話自体はしなかった。 言うまでもなく公営競技において開催期間中に選手関係者外部連絡取り合うことは最大タブーである。しかも、この模様地上波UHF局CS中継流れてしまったため、騒ぎ一気広がった日本小型自動車振興会翌日付で濵野・石田両選手に対して斡旋保留暫定処分下した。 およそ一ヶ月後、日本小型自動車振興会は、濵野・石田両選手行為は「小型自動車競走に関する業務方法に関する規程」の「公正かつ安全な競走を行うに不適当認められる理由があるとき」に該当する断定し2003年10月8日付で、両選手に対して斡旋停止処分(濵野については一ヶ月間、石田については半年間)を行った。なお、特別オートレース出場選手選考基準に基づき斡旋停止受けた選手は、その停止期間の満了1年経過するまでの期間は、特別オートレース等の出場選手の選考対象から除外される。従って、濵野は向こう一年SG競走出走する権利自体剥奪されのである選手として最も輝き始めた時期謹慎で、その後急激に低迷進んでしまった。3連覇成し遂げたGIムーンライトチャンピオンカップも翌年優勝できず、タイトルからは見放されている状態が続いていたが、2012年12月19日GIスピード決定戦で、9年ぶりにGI制覇達成した

※この「謹慎事件」の解説は、「濱野淳 (オートレース選手)」の解説の一部です。
「謹慎事件」を含む「濱野淳 (オートレース選手)」の記事については、「濱野淳 (オートレース選手)」の概要を参照ください。

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