説教強盗、逮捕
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1929年(昭和4年)1月10日、前年までに59件(うち暴行7件)にものぼった説教強盗事件を本格的に捜査すべく再び大評定を開催。関係各署にも協力を求め、特別捜査本部を設置した。同月19日には朝日新聞社が説教強盗を捕えたものに1,000円の懸賞金を支払うとの社告を発表。同月末にも警視庁の大捜査が行われたが逮捕はされなかった。2月2日には東京市民が警察の力が頼りないとして青年団・在郷軍人会が自警団を結成。同4日には帝国議会において「帝都治安維持に関する決議案」が提出されるにいたった。 2月6日には銀座松屋前で模倣犯である「説教強盗二世」岡崎秀之助が逮捕される。岡崎は三宅やす子宅、下田歌子宅など有名人の家を襲い、7箇所で強盗を働いていたが、警視庁が追う「第一世説教強盗」ではなかった。 2月16日警視庁は再調査の結果、1926年夏の犯行も説教強盗によるものであることを突き止め、現場に残された指紋から、かつて甲府刑務所に服役した松吉のものであると断定した。捜査員が出所後の松吉の行方を追う中で、ついに2月23日午後6時50分、松吉は自宅にて逮捕された。何の抵抗もなく「お手数かけてすみません」と神妙な態度だったという。逮捕に至るまでに動員された警察官は12,000名に及んだ。朝日新聞が懸けていた賞金1,000円は警官たちに贈呈されている。 説教強盗の特に後半の犯行にはしばしば強姦が伴っていたが、被害者への配慮から、強姦に関しては未遂罪が1件起訴されたのみであった。これが、説教強盗が「義賊」視される大きな要因になったと筒井功は述べている。
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