設立 1600年-1775年
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「ニューハンプシャー州の歴史」の記事における「設立 1600年-1775年」の解説
ニューハンプシャー州となった植民地は、1622年にイギリスの枢密院からジョン・メイソン船長とフェルディナンド・ゲルゲス卿に与えられたニューイングランドの土地特許に基づいて設立された。植民地の名前はイギリスのハンプシャーに因んでニューハンプシャー植民地と名付けられた。最初に開拓者が入ったのは、1623年、ライ(今日のポーツマス近く)のオディオーンズ・ポイントであり、デイビッド・トンプソンが指揮するイングランドの漁師の一団であった。これはプリマスにピルグリム・ファーザーズが上陸した丁度3年後のことであった。開拓者達はフレイクヒルに砦、領主館やその他の建物、そのうちの幾つかは漁のためのものを建てた。この開拓地はパナウェイ・プランテーションと呼ばれた。最初のニューハンプシャー生まれ、ジョン・トンプソンはここで生まれた。 デイビッド・トンプソンはメイソンによって派遣されていたが、数年後にエドワード・ヒルトンとウィリアム・ヒルトンが加わった。3人はドーバーの近辺を探索し、そこをノーザムと名付けた。メイソンは設立した植民地を見ることもなく1635年に死んだ。パナウェイの開拓者達は後にポーツマス地域に移住し、1629年に新しく創設されたラコニア会社の派遣したニール船長の指導する集団と合流した。新しい開拓地はストロベリー・バンクと名付けられた。1638年、ジョン・ホイールライトがエクセターの開拓地を造った。 1631年、トマス・ウィギン船長がアッパー・プランテーション(現在のドーバー、ダーラムおよびストラットハム)の初代総督となった。すべての町が1639年に合併することに合意したが、一方でマサチューセッツ湾植民地がこの地域の領有権を主張していた。1641年マサチューセッツとの合意が形成され、その管轄に入ることになった。町は自治が許された。1653年、ストロベリー・バンクはマサチューセッツ議会に対してその名前をポーツマスに変える請願を行い認められた。 マサチューセッツと独立したニューハンプシャーの人々との関係は、意見が分かれ、また内容が薄かった。1679年、イングランド王が2つの植民地を分離し、アッパー・プランテーションはジョン・カットを総督とする「王室領」となった。2つの植民地は1686年に合併し、1691年には再度分かれた。「王室領」は1698年まで継続し、もう一度ジョセフ・ダドリーを総督とするマサチューセッツの管轄下に入った。さらに1741年、ニューハンプシャーは王室領に戻り、総督のベニング・ウェントワースは1741年から1766年まで務めた。
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