設備の近代化と小牧線への改称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 15:28 UTC 版)
「名鉄小牧線」の記事における「設備の近代化と小牧線への改称」の解説
第二次世界大戦下において、ガソリン供給が難しくなると、1942年(昭和17年)7月1日まず、上飯田駅 - 新小牧駅間が電化された。その後は、戦争の深刻化に伴い、数多くの駅が休止に追い込まれた。 おもに鷹来町にあった陸軍の陸軍造兵廠鷹来工廠へ通勤する工員輸送対策として鷹来線が計画され、1945年(昭和20年)5月1日、鷹来線との連絡のため小牧線(のちの岩倉支線)の新小牧駅への乗り入れが完成し、小牧駅(旧)が廃止され、新小牧駅は小牧駅と改称した。 戦後、1947年(昭和22年)11月24日、小牧駅 - 犬山駅間が電化され、1948年(昭和23年)5月16日、大曽根線は小牧線と改称した。同時に、これまで小牧線と呼ばれていた岩倉駅 - 小牧駅間は岩倉支線と改称した。 その後、1954年(昭和29年)には、閉塞方式に名鉄初の単線自動閉塞を導入し、1956年(昭和31年)にかけては、全線に列車集中制御装置 (CTC) を導入し、1964年(昭和39年)10月1日には、架線電圧を600Vから1500Vに昇圧した。 このほか1965年(昭和40年)に博物館明治村が開業し、羽黒駅を明治村口駅に改称して連絡バスとのアクセス駅とした。特急列車の乗入れも行われたが、1985年(昭和60年)に連絡バスの発着が犬山駅に変更されたことにより役目を終え、元の羽黒駅に戻された。
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