記念碑、記念プレート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/12 03:25 UTC 版)
「ヘルフォルト」の記事における「記念碑、記念プレート」の解説
既述のヴィドゥキント記念碑、リンネンバウアー記念碑、戦争と弾圧の犠牲者記念碑(公園の項参照)や戦士の記念碑(墓地の項参照)の他に、ミュンスター教会とカントル館との間にアプタイステーレ(修道院の石柱)がある。これは貴族的なヘルフォルト帝国修道院や修道女の活動を記念して1989年に建立された。1998年からマルクトハレの前にある帝国修道院都市ヘルフォルトの都市歴史記念碑は、修道院と都市との特殊な関係、すなわち共同統治(1256年から)を示している。ミュンスター教会広場の旧市街市場の泉の近くに、17世紀の市壁に囲まれた帝国都市の模型が2002年に設置された。 フュルステナウ広場には、三十年戦争時代のヘルフォルトの庇護者で、ブランデンブルク公に対して帝国自由権を守った偉大な選帝侯アントン・フュルステナウを記念してフュルステナウ記念碑が建てられている。また、1912年から1942年までこの選帝侯が載っていた台座の壊れた部分が2002年にアーヴィーゼン公園に設置された。これはヘルフォルトとプロイセンとの断絶した関係を示している。 選帝侯との関係は、ドイツでもユニークな歴史ホテルであるホテル・ツーア・フュルストアプタイにも表れている。このホテルは1999年にエリーザベト通りの官庁街の真ん中にオープンしたもので、絵画、化粧漆喰細工、ヘルフォルトの歴史文化財の模型で飾り付けられている。通りから中庭に抜ける通路には市の歴史を表した7枚のブロンズ製レリーフが飾られている。 この歴史ホテルの向かい側に、芸術家ヴォルフガング・クノルが制作したエリーザベト・フォン・ヘルフォルトの胸像がある。彼女は、1667年にヘルフォルト女子修道院の院長になった人物である。彼女の居館はホラント通り33番地に現存している。彼女の廟所はヘルフォルトのミュンスター教会の主祭壇前にある。 ヤーン通りにはフリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーンの胸像が、シラー通りにはシラーの胸像がある。 芸術塑像群が労働局前(クンスト・アム・バウ)とシュタイントーア前にある。ディスコ「Go-Parc」前の安全地帯には押しつぶされた自動車の残骸が展示されている。公共スペースにある他の芸術作品は、美術館 MARTa 周辺に配置された(たとえばシラー広場の "La Palla" = 「球」)。 ヘルフォルト=ラール市区のリュベッカー通り - ラーラー通り/ヴィルゼンドルファー通りの交差点付近に、プロイセンの将軍で陸軍大臣のアルブレヒト・フォン・ローンの記念碑がある。この記念碑は1913年にラール=ホリンデ戦争協会によって建立された。1968年以降この記念碑は1度移設された。
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