記念碑、リエルにちなむ地名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 14:12 UTC 版)
「ルイ・リエル」の記事における「記念碑、リエルにちなむ地名」の解説
オタワの国会議事堂敷地にはリエルの彫像があり、またウィニペグにも二つの像が建てられている。ウィニペグにある一つは建築家のマルシアン・ガブリーと彫刻家のマルシアン・ルメイの作品で、裸で苦悶するリエルを描写している。この作品は1970年に発表され、23年間マニトバ州議事堂敷地に据えられていたが、この像の描写は嫌悪を覚え品位を損なうとする抗議の声(特にメティ・コミュニティから)を受け、像はセント・ボニファス大学のキャンパスに移設された。1994年にリエルを威厳に満ちた政治家として描いた Miguel Joyal の像が代替として州議事堂に据えられた。 マニトバ州やサスカチュワン州のコミュニティの多くでは、道路、学校やその他建物にリエルを記念する名前がよく使われている。サスカトゥーンに所在するサスカチュワン大学の学生センターや学内パブはリエルの名前をとっている。また、レジャイナからプリンス・アルバート南部まで延びる州ハイウェイ11号線は州により「ルイ・リエル・トレイル」と命名され、この道沿いには1885年の反乱ゆかりの土地が数多くある。
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