計画の中止とその後とは? わかりやすく解説

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計画の中止とその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 07:16 UTC 版)

MIM-46 (ミサイル)」の記事における「計画の中止とその後」の解説

これらの問題直面し1963年ごろより、暫定野戦軍防空研究(IFAADS:Interim Field Army Air Defense Study)が開始された。この研究では、1956年より就役しはじめ海軍の短射程空対空ミサイルであったAIM-9 サイドワインダー地対空ミサイル転用して短距離防空(SHORAD)を担当させ、これを補完する近距離防空(VSHORAD)兵器としてM61 バルカンFIM-43 レッドアイ配備、これらの火力システムとAN/MPQ-49(英語版前線防空レーダー連接することで防空システム構築することを提唱した。IFAADSで検討され防空システムは、モーラー・システムよりも性能面では劣るが、より堅実安価であり、しかも早期実現可能なソリューションであった1963年11月モーラー単なる技術実証計画変更され1965年11月には完全にキャンセルされた。GTV計画のキャンセルまで飛行試験続けた。 IFAADSで提唱され地上発射型サイドワインダーは、MIM-72A チャパラルとして1969年5月より配備されはじめた。しかし、MIM-72Aは敵機後方からしか攻撃できなかった上に、かなり容易に振り切ることができた。このことから、イギリス陸軍は、バックアップ・プロジェクトとして独自に進めていたET.316計画主眼切り替えてレイピアミサイルシステムとして1971年より配備入ったアメリカ海軍は、MIM-72をもとに、モーラー開発され新型赤外線シーカー搭載したRIM-72C シーチャパラル試験した。これは、MIM-72Aよりも向上した全方位攻撃能力備えていたものの、やはり要求には達しないとして採用せず、より大型空対空ミサイルであったAIM-7スパローをもとにしたシースパローBPDMSを選択した。RIM-72C シーチャパラルは、システムごと台湾海軍売却された。その後、これと同じシーカー搭載したMIM-72Cが開発され、これは陸軍のチャパラル・システムで広く使用された。

※この「計画の中止とその後」の解説は、「MIM-46 (ミサイル)」の解説の一部です。
「計画の中止とその後」を含む「MIM-46 (ミサイル)」の記事については、「MIM-46 (ミサイル)」の概要を参照ください。

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