言語感覚の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/06 22:39 UTC 版)
「グロープカント通り」の記事における「言語感覚の変化」の解説
オックスフォード英語辞典は「cunt」を「女性の外部生殖器」と定義し、「この言葉はタブー同然の扱いを受ける。動詞のFUCKも参照」と記している。しかし中世を通じてこの言葉は概してただ下品なだけだと考えられ、少なくとも13世紀ごろからあくまで身体部位を指す言葉として日常的に用いられていた。 しかし例えばアドルストリート(そのまま尿のこと、あるいは他の液状の汚物。ぬかるみ) やフェッタース通り(「怠けもの、荒くれ者」の意)といった名前は残ったものの、多くは現代的な感覚に沿う形で改名された。ロンドンのシャーボーン通りは1272年ごろにはシッタボウ通りとして知られていた(おそらく近くに汚物だめがあった)。同じような名前をつけられた通りの一つであるピッシング・アレーはロンドン大火後も名前が生き残ったが、1848年にはリトル・フライデー・ストリートと呼ばれており、その後1853年から1854年にカノン・ストリートに吸収された。ペチコート通りはしばしば売春と関係のある名前だと意味が誤解され、1830年にミドルセックスストリートに改名された(下着に由来する名前を通りに使うことに反対する運動が行われたのである)。近年ではジョン・クリスティが殺人を犯したリリントンプレイスがラストン・クロースと名前が変わっている。セルース・ストリートもネルソン・マンデラを記念して改名されている。これはおそらくセルースが植民地主義者であったフレデリック・セルースから来ているという考えにもとづくものだが、実際には画家のヘンリー・コートニー・セルースからとられた名だった。 これら卑近な名前のなかでも最も露骨でありながら頻繁につけられる名であった「グロープカント」は14世紀ごろには廃れ始めていたようである(シュルーズベリーとおそらくはニューカッスルはその例外で1588年の文書にもグロープカント通りの名がみつかる)。少しずつ、しかし確実にこの名前は英語の語彙から取り除かれていき、ついには消えていった。13世紀ウェールズのグロープカン通りはグロープ通りとなり、次いで19世紀にはグローヴ通りとなった。支配層である上流階級の保守的なプロテスタントは16世紀には売春に敵意を燃やすようになり、法で売春を規制する最初期の例となったサウスウォークの売春宿は一転して1546年に閉鎖された。
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