解説、論評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/28 14:15 UTC 版)
バルセロナにあるミロ美術館館長のロサ・マリア・アレ博士は、この『メゾナイトの絵画』と、直前に銅板その他の素材に描かれた「野性的絵画」とを比較している。 1936年7月18日、スペイン内乱が勃発。これ以降、ミロの絵画からは証言的なものが消え、一種の暴力的で直接的なエクソシズムを表わした27点の「メゾナイトに描いた絵画」が登場する。 この連作には野生は表現されないが、描き方そのものにわずかに現れている。つまり怪物は、画板に向かう画家の直接的な攻撃に置き替えられた。背景はメゾナイトそのものをむき出し、この上にミロはカゼインの白、タールの黒、砂、アスファルトなどを置いた。風景は消え、生きものたちは最も基本的な特徴だけを残している。球体や大きな足の指の爪、豆などから派生したフォルムは明らかにミロのものだが、すっきり図案化されている。また、男根の形がしょっちゅう現われるが、これは時に人物そのものとして表わされた。 “メゾナイト”にはあらゆる叫びの力があるが、ただそれだけである。それはある出来事に対する画家の積極的な表明でもあるが、どんな新しい道も切り開きはしない。ミロがもう一度自分自身を見つめ、適切な表現媒体を見つけようとするためには、モンロチを、さらにはスペインを出なければならなかったのである。 —ロサ・マリア・アレ(訳:佐和瑛子) ニューヨーク近代美術館も手法の荒々しさに着目している。 … この連作は自国の騒乱に対するミロの心情的・身体的反応の表現であると長らく示唆されてきた。しかしミロはこの連作を「それらの事件に関わりなく」制作したと主張している。この連作において物語性は脇に追いやられ、油彩とエナメルのペイント、カゼイン、タール、砂、小石といったテクスチャと素材がより強調されている。ミロは時にメゾナイト板へ荒々しく立ち向かい、繊維質の地をノミでえぐり、一発勝負の筆使いを見せ、根源的な直観力を表現した。 —MOMA Press この連作はモンロチとバルセロナで制作された。連作が完成した直後、1936年の秋にミロはスペインを出国してパリに戻り、そこで4年間を過ごすことになった。
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