解散とその後のプロジェクト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 05:34 UTC 版)
「アシッド・バス」の記事における「解散とその後のプロジェクト」の解説
1997年1月23日、酔ったドライバーの交通事故に巻き込まれ、ベーシストのピトレが両親と共に死亡し、ピトレの弟ケリー・ピトレが肋骨骨折と軽度の首骨折を負った。ピトレの死をきっかけに、アシッド・バスのキャリアは突如終わりを迎えた。 バンドの解散後、『Killer Rat Poison』というタイトルの新しいアルバムについての噂が流布したものの、その後新しい情報が出ることはなかった。このアルバムのキーボード担当はビアターだった。デュエットは、ブラック・デスメタルバンドのゴートホア(英語版)(Goatwhore)の初期作品でいくつかのリフを使用するため、数人の親しい友人にのみコピーを配った。 ビアターは、有名なデスメタル・ギタリストのジェームズ・マーフィー(James Murphy)が所属するバンド、ディスインカーネイト(Disincarnate) のアルバム『Dreams of the Carrion Kind』で、ドラムを担当した。リッグスとサンチェスは、エージェンツ・オブ・オブリビオン(Agents of Oblivion)を結成して活動を続け、2000年にはアルバム『Agents of Oblivion』をリリースしたが、その後まもなく解散した。リッグスは、2000年からスワンプ・ロックバンドのデッドボーイ・アンド・ジ・エレファントメン(Deadboy&the Elephantmen)のフロントマンとしても活動し、2007年には自身の名義で作品のリリースを始めた。デュエットは一時期クロウバー(英語版)(Crowbar)に加入していたが、現在はゴートホアとリチュアル・キラー(Ritual Killer)、そしてケリー・ピトレと共にドゥーム・メタルバンドのヴアル(Vual)に所属している。また、デュエットは、アシッド・バス時代から悪魔主義者であることを公言している。ビアターとフォンテノットは、オーディ・ピトレが1995年に結成したシュルム(Shrüm)にも在籍していた。シュルムは、ブラックメタルのボーカルと複数のベースによる重いサウンドを特徴としていた。その後フォンテノットは、ディヴァウアメント(Devourment)で2年間ベースを担当した後、アメリカ陸軍に入隊した。 2014年、カイルが自身のフェイスブック上に「アシッド・バスはボーカルを探しています。アシッド・バスの曲を歌っているMP3やデモ、ビデオ、リンクなどを送ってください」というメッセージを上げ、さらに同じタイミングでスリップノットのボーカルのコリィ・テイラー(Corey Taylor)のフェイスブックに話がしたいという旨のメッセージを送ったことが発端となり、アシッド・バスが新しいボーカルを起用して再結成するという噂が広まった。しかし、この噂についてデュエットは「ピトレなしではアシッド・バスは存在しない。今後新しいアシッド・バス作品が作られることはない」として否定し、「現在、アシッド・バスの残ったメンバー(ジミー、マイク、私)は、アシッド・バスのトリビュートバンドとしてライブを行う可能性を検討しているが、まだ何も決まっておらず単なるアイデアに過ぎない」と述べた。
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