衝角戦術の再登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 20:25 UTC 版)
「蒸気船時代の海戦戦術」の記事における「衝角戦術の再登場」の解説
蒸気機関によって船が自由に航走できるようになったので、衝角戦術が復活するのではないかと多くの者が考えた。1866年リッサ海戦で、オーストリアの鉄板被覆艦「エルツヘルツォーク・フェルディナント・マクス」が「レ・ディタリア」を沈めた時、この仮定に説得力をもたらしたように見えた。事故による衝突、たとえばイギリス軍艦の「バンガード」と「アイアン・デューク」、「ヴィクトリア」と「キャンパーダウン」のような例は、蒸気船の衝角戦術で致命的な損傷を与えられることを示していた。しかし「レ・ディタリア」の沈没も事故的な要素が強く、蒸気船の衝角戦術は実用的ではないことが明らかになってきた。 2つの船が十分操縦可能な場合は、動くスペースさえあれば衝突を容易に回避できる。乱戦の場合は衝角戦術を使う機会があるかもしれないが、魚雷や機雷が使われ始めると、敵の艦隊に突進することが危険であると認識された。それ故に魚雷が乱戦と衝角戦術を駆逐したと言われる。 衝角戦術を選択することは、それに相反する、以前の船腹に大砲を並べる手法を衰えさせることに繋がった。衝角戦術を取るときや乱戦に突入するような場合、船首を敵に指向して戦う必要があるので、多くの艦船は船腹よりも前方に(時には船尾に)火器を置くように改められた。そうでなくても産業革命の結果としてより大きな大砲が開発され、鉄や鋼での装甲が増えたことで、船腹の大砲は遅かれ早かれ廃れてしまう戦術だった。大砲が大型化すれば搭載数を減少させる必要があるが、尚も、より広い範囲を攻撃できる機能を求められる。これは巡航性能にとってはマイナスであり、多くの場合、前方に直接砲撃することによる爆風で上部構造物や甲板、艤装などに損害をもたらした。このことは衝角戦術を無効にしたもう一つの要因である。
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