衝背軍上陸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 19:11 UTC 版)
3月19日、日奈久から上陸しようとした別働第2旅団は、薩軍300名が征討軍上陸に備えて警戒しているとの報を受け、3キロ南方の洲口の浜に上陸地点を変更する。上陸した黒木為楨歩兵第12連隊長率いる2個大隊と警視隊500名は薩軍1個小隊の迎撃を受けるも、鳳翔の援護射撃もありこれを撃破。部隊は八代まで進撃を開始し、14時には球磨川を渡って八代を制圧した。夕方には高島大佐も上陸し、八代に橋頭保を確保した。 薩軍本営は衝背軍の上陸に衝撃を受け、南下軍の編成に取り掛かる。三番大隊長永山弥一郎自らが指揮官をかってで、それまでの小隊編成を整理し3個中隊を編成、南下を開始し宮原・鏡付近で衝背軍と遭遇し交戦する。 21日には黒田参軍が別働第2旅団の残余を率いて日奈久に上陸。更に25日には山田顕義少将率いる別働第2旅団(従来の別働第2旅団は別働第1旅団に改名)、川路利良少将率いる別働第3旅団(警視隊を基幹に新たに編成)が上陸。衝背軍は総勢8000名の大部隊に増強された。
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