蝦夷地直轄化と御用掛の任命とは? わかりやすく解説

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蝦夷地直轄化と御用掛の任命

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:17 UTC 版)

松平忠明 (信濃守)」の記事における「蝦夷地直轄化と御用掛の任命」の解説

寛政年間は、蝦夷地をめぐる大きな事件相次いだ寛政元年1789年)にアイヌの蜂起であるクナシリ・メナシの戦い発生寛政4年1792年)にはロシア使節アダム・ラクスマン根室来航している。江戸幕府寛政10年1798年)、目付渡辺胤久蔵)、使番大河内政寿(善兵衛)、勘定吟味役三橋成方右衛門)に蝦夷地警備経営について調査命じた渡辺・大河内・三橋蝦夷地に赴き、現地の状況巡察して、11月半ば江戸に戻って復命した。幕府蝦夷地直轄とすることとした。 寛政10年1798年)年12月27日松平忠明は「蝦夷地のことをうけたまはり」、渡辺胤大河内政寿、三橋成方議すように命じられる忠明力量見込まれ蝦夷地責任者蝦夷地取締御用掛)として抜擢されたものとみなされる寛政11年1799年1月16日松平忠明加えて勘定奉行石川忠房左近将監)、目付羽太正養(庄左衛門)、大河内政寿、三橋成方にも同様の命令出された。同日松前藩松前章広に対して東蝦夷地向こう7年間の期限付きの上知が命じられ、5人の蝦夷地御用掛(「五有司」)が蝦夷地経営に当たり、老中戸田氏教若年寄立花種周統括任に当たることとなった。 「五有司」は、場所請負商人横暴によってアイヌ反感募らせる状況に対して公正な商取引実施とともにアイヌの「教化」と「懐柔」を行いロシア備えることなどを挙げた蝦夷地経営方針案(「蝦夷地取締開国之儀相含取計方申上候書付」)を作成し上司によって採用された。

※この「蝦夷地直轄化と御用掛の任命」の解説は、「松平忠明 (信濃守)」の解説の一部です。
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