藤沢市への合併の経緯
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「片瀬 (藤沢市)」の記事における「藤沢市への合併の経緯」の解説
1938年(昭和13年)12月24日 - 高座郡藤沢町、鎌倉郡片瀬町と村岡村に合併を申し入れる。鎌倉と藤沢で、片瀬町と腰越町を合併するための争奪戦が発生、市制施行上問題化。 1939年(昭和14年)1月12日 - 片瀬町、藤沢町との合併問題委員決定。同年1月28日 - 藤沢町勢振興委員会に片瀬町当局参加。 同年2月 - 片瀬町が鎌倉町からの合併勧誘に対して交渉を打ち切る。 同年11月3日 - 鎌倉町、市制を施行。鎌倉市となる。 同年11月18日 - 町勢振興委員会、片瀬町・村岡村の合併条件を決定。片瀬町側、合併による新市(または町)の名称を「江之島」とすることを決定。 1940年(昭和15年)1月10日 - 町勢振興委員会、片瀬町との合併市(町)名を「藤沢」「藤沢江の島」または「湘南」とする案を決定。同年1月18日 - 藤沢町と片瀬町との合併問題に関する懇談会開催。 同年2月11日 - 村岡村と片瀬町は藤沢町との合併問題につき強調することを関係委員間で決定する。 同年4月 - 片瀬町・村岡村の委員協同で藤沢町との合併条件を申し合わせ、新市名「片瀬市」を主張する。 同年6月28日 - 藤沢町と片瀬町・村岡村との合併交渉不成立、片瀬町の合併委員会解散。 同年6月29日 - 片瀬町長が元老議員と懇談、合併交渉打ち切りが主流となる。 同年10月1日 - 藤沢町、市制を施行。藤沢市となる。 1941年(昭和16年)6月1日 - 鎌倉郡村岡村、藤沢市へ正式編入。同年6月8日 - 藤沢市・村岡村合併祝賀式が第四国民学校(現藤沢市立本町小学校)講堂にて挙行される。 1942年(昭和17年)1月16日 - 片瀬町との合併交渉委員(市議6名)決定。同年3月24日 - 藤沢市議会全員協議会、片瀬町側が提案の合併による新市名「藤沢江の島市」を受け入れる。 同年3月30日 - 片瀬町議会全員協議会、藤沢市との合併を可決。 同年4月3日 - 鎌倉市・大船町・深沢村の委員合同して「大鎌倉建設要綱」を片瀬町民に配付し、鎌倉市への合併を呼びかけたが片瀬側が反発する。 同年9月3日 - 片瀬町との合併問題で藤沢市議会全員協議会を開催。 1946年(昭和21年)10月12日 - 片瀬町、藤沢・鎌倉両市に合併条件の明示を求める。 1947年(昭和22年)1月19-20日 - 片瀬町で合併問題に関し町民投票、藤沢市への合併賛成が過半。同年2月10日 - 片瀬町、正式に藤沢市への合併を申し入れ。 同年4月1日 - 片瀬町を藤沢市に編入合併。藤沢市立鵠洋小学校で合併祝賀会開催。
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