藤沢市への合併の経緯とは? わかりやすく解説

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藤沢市への合併の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:02 UTC 版)

片瀬 (藤沢市)」の記事における「藤沢市への合併の経緯」の解説

1938年昭和13年12月24日 - 高座郡藤沢町鎌倉郡片瀬町村岡村合併申し入れる鎌倉藤沢で、片瀬町腰越町合併するための争奪戦発生市制施行問題化1939年昭和14年1月12日 - 片瀬町藤沢町との合併問題委員決定同年1月28日 - 藤沢町振興委員会片瀬町当局参加同年2月 - 片瀬町鎌倉町からの合併勧誘に対して交渉打ち切る同年11月3日 - 鎌倉町市制施行鎌倉市となる。 同年11月18日 - 町勢振興委員会片瀬町村岡村合併条件決定片瀬町側、合併による新市(または町)の名称を「江之島」とすることを決定1940年昭和15年1月10日 - 町勢振興委員会片瀬町との合併市(町)名を「藤沢」「藤沢江の島」または「湘南」とする案を決定同年1月18日 - 藤沢町片瀬町との合併問題に関する懇談会開催同年2月11日 - 村岡村片瀬町藤沢町との合併問題につき強調することを関係委員間で決定する同年4月 - 片瀬町村岡村委員協同藤沢町との合併条件申し合わせ新市名片瀬市」を主張する同年6月28日 - 藤沢町片瀬町村岡村との合併交渉不成立片瀬町合併委員会解散同年6月29日 - 片瀬町長が元老議員懇談合併交渉打ち切り主流となる。 同年10月1日 - 藤沢町市制施行藤沢市となる。 1941年昭和16年6月1日 - 鎌倉郡村岡村藤沢市へ正式編入同年6月8日 - 藤沢市村岡村合併祝賀式が第四国民学校(現藤沢市立本町小学校講堂にて挙行される。 1942年昭和17年1月16日 - 片瀬町との合併交渉委員市議6名)決定同年3月24日 - 藤沢市議会全員協議会片瀬町側が提案合併による新市名藤沢江の島市」を受け入れる。 同年3月30日 - 片瀬町議会全員協議会藤沢市との合併可決同年4月3日 - 鎌倉市大船町深沢村委員合同して「大鎌建設要綱」を片瀬町民に配付し、鎌倉市への合併呼びかけたが片瀬側が反発する同年9月3日 - 片瀬町との合併問題藤沢市議会全員協議会開催1946年昭和21年10月12日 - 片瀬町藤沢鎌倉両市に合併条件明示求める。 1947年昭和22年1月19-20日 - 片瀬町合併問題関し町民投票藤沢市への合併賛成過半同年2月10日 - 片瀬町正式に藤沢市への合併申し入れ同年4月1日 - 片瀬町藤沢市編入合併藤沢市立鵠洋小学校合併祝賀会開催

※この「藤沢市への合併の経緯」の解説は、「片瀬 (藤沢市)」の解説の一部です。
「藤沢市への合併の経緯」を含む「片瀬 (藤沢市)」の記事については、「片瀬 (藤沢市)」の概要を参照ください。

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