蒲原鉄道モハ31形電車
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蒲原鉄道モハ31形電車(かんばらてつどうモハ31がたでんしゃ)は、かつて蒲原鉄道(蒲原鉄道線)に在籍した電車。従来車の主要機器を流用して1952年(昭和27年)10月[2]に新製された、蒲原鉄道線における戦後初の新型車両である。
注釈
- ^ モハ41の自重について、蒲原鉄道側の車両竣功図表においては21.5t、「現有私鉄概説 蒲原鉄道」 (1998) においては21.95tと記載されている。しかし、車体延長改造・間接非自動制御化以前の段階におけるモハ41の自重は24.1tであり(「私鉄車両めぐり第2分冊 蒲原鉄道」 (1962) による。なお、同時期におけるモハ31の自重は26.1tである)、そこから車体延長ならびに制御装置新設という重量増加を伴う改造を経ているにもかかわらず、自重が大幅に軽量化されることは考えられず、前掲した2項目における自重表記はいずれも誤りであると推定される。
- ^ J.G.ブリル社製の鍛造鋼組立型軸ばね式台車ブリル76E-1。
- ^ モハ13についてはモハ51形51と改称・改番され、モハ1の改造名義で竣功した。
- ^ 蒲原鉄道は1959年(昭和34年)3月に自社村松車庫において二軸有蓋貨車ワム1形1を新製しており、同車が移動機械(モーターカー等)を除く車籍を有する車両としては最後の新製車両となった。
- ^ 蒲原鉄道においては同改造を「総括制御化」と称した。
- ^ 「私鉄車両めぐり第2分冊 蒲原鉄道」 (1962) においては同主電動機の出力を「55.95kW」とし、また『日本のローカル私鉄』 (1990) および「現有私鉄概説 蒲原鉄道」 (1998) においても「63.4kW」「55.95kW」の表記が混在する。これは同主電動機の定格出力を英馬力で表記した場合「定格出力75HPの主電動機」として取り扱われていたことに由来するもので (1HP=0.746kW) 、実際の特性は全く同一である。
- ^ 代替対象であるデ1形の車両定員は66人(座席32人)であり、1両当たり約5割の輸送力増強が図られた。なお、制御車を含めるとクハ10形10(元国鉄キハ41000形気動車)の109人(座席62人)が最大であった。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l 車両竣功図表 モハ41
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 「私鉄車両めぐり第2分冊 蒲原鉄道」 (1962) p.36
- ^ 「現有私鉄概説 蒲原鉄道」 (1998) p.161
- ^ a b c d e 「現有私鉄概説 蒲原鉄道」 (1998) pp.166 - 167
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 「現有私鉄概説 蒲原鉄道」 (1998) pp.164 - 165
- ^ a b 『日本のローカル私鉄』 (1990) p.102
- ^ 「蒲原鉄道 有終のフィナーレ」 (1999) p.78
- ^ a b c d e f g 「私鉄車両めぐり第2分冊 蒲原鉄道」 (1962) p.38
- ^ 車両竣功図表 モハ61
- ^ 「私鉄車両めぐり第2分冊 蒲原鉄道」 (1962) p.37
- ^ a b 『日本のローカル私鉄』 (1990) p.101
- ^ a b 『鉄道廃線跡を歩く IX』 (2003) pp.78 - 79
- 1 蒲原鉄道モハ31形電車とは
- 2 蒲原鉄道モハ31形電車の概要
- 3 主要機器
- 4 導入後の変遷
- 5 脚注
- 6 参考資料
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