萬次郎と山梅楼とは? わかりやすく解説

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萬次郎と山梅楼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:20 UTC 版)

堀江六人斬り」の記事における「萬次郎と山梅楼」の解説

(※年齢全員数え年) 犯人中川萬次郎なかがわ まんじろう事件当時52歳)は尾張国海東郡福田村生まれで、実家尾張徳川家家来筋。旧姓犬飼幼少期犬山藩藩主成瀬長門守家来岩田家養子となり同家船手役を務めていたが維新後失業その後帆船船頭生業としていた。仕事大阪入港するたびに山梅楼宿泊し当時経営者の娘・八重当時25歳)と情交深めていき、やがて婿養子納まる山梅楼八重の母お民(おたみ)が女主人として営業していたが1887年死亡した後は、店の全権萬次郎握ることになった。 しばらくは仲睦まじく円満に暮らしていたが、萬次郎元来女好きであり次第に店の抱え芸者手をつけるなど、女商売にあるまじき行為繰り返していた。彼は萬次郎頼って名古屋から上阪した店の芸者・お作となじみ、そのこと八重とゴタついた。萬次郎はお作と駆け落ちして北海道逃げ2人数年を過ごす。しかしお作に飽き1人大坂戻ってきていた。一方留守守っていた妻の八重は、女1人では商売が手に余り、客の一人相談相手にしていた。それを知った萬次郎は、妻と客の「姦通」を言いたて、殴る蹴る暴力をふるい家付き娘の妻を非道に追放してしまう。こうして彼は山梅楼乗っ取ってしまう。

※この「萬次郎と山梅楼」の解説は、「堀江六人斬り」の解説の一部です。
「萬次郎と山梅楼」を含む「堀江六人斬り」の記事については、「堀江六人斬り」の概要を参照ください。

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