菅直人の上告見送り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:52 UTC 版)
「諫早湾干拓事業」の記事における「菅直人の上告見送り」の解説
菅直人はかねてより自由民主党が推進していた本事業を「無駄な公共事業」として強く批判しており、政権を取る前にも市民運動家やテレビカメラを伴って水門に押しかけ、水門をただちに開けるよう要求するなどの行動を取っていた。2009年9月に民主党政権が誕生すると、翌2010年4月に民主党の検討委員会は「開門調査を行うことが適当」という見解をまとめた。同年6月に内閣総理大臣に就任した菅は、同年12月15日、国が敗訴した福岡高裁判決について上告を断念すると表明した。 これに対して中村法道長崎県知事は「国営事業として進められたのに(地元に)一切相談・報告がなく、報道で初めて聞いた。大変遺憾だ」として不快感を示した。政府内でも福岡高裁判決はあまりにも一方的であるとして上告する意見が大勢であった。諫早市長の宮本明雄(当時)や仙谷由人官房長官(当時)、鹿野道彦農林水産大臣(当時)が説得を試みたが、菅は「私が決断したことだ」と意見を変えず高裁判決を確定させた。 長崎県議会・諫早市議会・雲仙市議会・大村市議会・@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}地元商工団体・農業関係者[要出典]は、菅の判断に対する抗議の決議書を提出した。産経新聞は、菅のこの判断により諫早湾干拓事業の問題が混迷化したと批判した。諫早市長の宮本明雄は、判決確定の直前に長崎県知事の中村法道や地元住民代表らを連れて、首相官邸に菅を訪ねて陳情に行ったが、問題に精通していると自認していた菅が、実は問題に精通しているどころかほとんど何も理解していなかったと述べ、菅首相の「私なりの知見」に基づく独断と暴走が問題をこじれにこじれさせていると批判した。
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