茂福町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:22 UTC 版)
構成 茂福北ノ町自治会 茂福西ノ町自治会 茂福中ノ町自治会 茂福東ノ町自治会 茂福南ノ町第一自治会 茂福南ノ町第二自治会 東茂福町第一自治会 東茂福町第二自治会 茂福町は四日市市茂福町の(茂福北ノ町自治会・茂福西ノ町自治会・茂福中ノ町自治会・茂福東ノ町自治会・茂福南ノ町第一自治会・茂福南ノ町第二自治会)と、四日市市東茂福町の(東茂福町第一自治会・東茂福町第二自治会)に加えて大字茂福の地域が茂福町として祭車を保有して祭礼行事に加盟している。茂福地区の北村町は単独保有しており、他の(北鵤町自治会・富田浜町自治会・富田浜元町自治会・四五六町自治会)は石取祭以外の祭事をしている。大正12年(1923年)に桑名市「赤須賀」より譲り受けた。茂福町の「茂福神社」が鎮守社である。彫刻に特徴がある祭車である。江戸時代の文政9年(1826年)に築造された。桑名藩の名工の野々垣家の「太兵衛・清兵衛・兵介」の名が墨書きされている。祭車は一重の台輪で亀の腹に類似する型である。天幕には、「牡丹に唐獅子」が描かれている。囃子は七っ拍子である。茂福地区の自治会の祭礼行事は毎年2回もある。毎年7月20日前後に実施される茂福地区の南西区域に鎮座する産土神である茂福神社の夏祭り行事と、8月13日~8月15日のお盆に開催される四日市市富田地区全体の総鎮守である氏子神社の鳥出神社の盆祭りの毎年2回実施される。7月の茂福神社の夏祭り行事は、祭礼の日にちの午後より茂福神社の境内で実施される。形式は初期の彫刻充填型の祭車である。漆・飾や金具によって完成された祭車である。漆を制作したのは、山本翠松である。山形の12張の提灯は、表側は朱墨で「茂」と書かれていて、裏側は黒墨で「御神燈」と記述されている。拍子は本場桑名の石取祭の本七ッ拍子の変形である。富田地区の北村町と似ている同拍子であるが、細かい部分が異なり、茂福地区の方が北村町より少し拍子の長さが長いのが特徴である。
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