茂義の科学研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/23 20:22 UTC 版)
武雄には現在も138冊の蘭書コレクションや、地球儀や天球儀、測量器具や時計、薬品などの輸入物品が残されているが、これは茂義の時期にオランダから購入されたものである。それに加えて武雄では、天保年間、塚崎城(武雄領主の館、現武雄高校)で理化学実験用シリンダーなどのガラス製品や、蘭引(蒸留装置)や乳鉢、乳棒などの磁器が製造されている。茂義やその家臣は、これらの実験器具を用いて理化学実験を行っており、特に火薬や雷管の研究を行っていたと言われる。佐賀藩では、嘉永4年(1851年)に精煉方(理化学研究所)を設け、本格的に理化学研究に取り組むが、このような武雄領の研究結果はその際、大いに参考にされたものと思われる。 また、嘉永7年(1854年)に、茂義は斉正から精煉方における蒸気船建造の責任者に任命されるが、これも茂義が既に蒸気機関についての知識を有していた表れと考えられる。
※この「茂義の科学研究」の解説は、「鍋島茂義」の解説の一部です。
「茂義の科学研究」を含む「鍋島茂義」の記事については、「鍋島茂義」の概要を参照ください。
- 茂義の科学研究のページへのリンク