英祖期
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1751年11月26日英祖王令で李鎮翼に孝宗・顕宗・粛宗の御書を持参させて面会した。英祖は蔭位制による李鎮翼人事採用令を発令。11月29日厚陵参奉に任官。1753年式年試合格者100人中23位・2等18位として進士認定された。5月30日内贍寺奉事に任官。1754年8月5日順陵直長に任官。1757年7月11日五衛副司正に任官。1759年12月26日司饔院直長に任官。1761年1月15日麟坪大君奉祀孫に指定された。1月24日掌苑署別提に任官。3月17日司饔院主簿に任官。6月28日司憲府監察に任官。1762年2月5日戸曹佐郎に任官。8月13日木川県県監に任官。9月8日通礼院引儀に任官。1767年1月17日軍資監判官に任官。3月18日麻田郡郡守に任官。1769年7月13日内資寺主簿に任官。7月14日午前8時慶熙宮集慶堂で英祖と面会、英祖は李鎮翼特別人事令を発令。7月22日恭陵令に任官。1770年1月14日宗廟署令に任官。2月5日義興県県監に任官。1772年11月7日敦寧府都正に任官。1774年1月13日午前10時慶熙宮集慶堂で英祖と面会、燕行録を持参した。工曹参判に任官。8月22日五衛司直に任官。11月30日五衛都総府副総管に任官。1775年3月18日五衛都総府副総管に解官。理由は重病のため。
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