英知修道女会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/21 20:35 UTC 版)
「ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォール」の記事における「英知修道女会」の解説
ラ・ロシェルの司教は時々モンフォールに強く印象付けられ、モンフォールを招待してラ・ロッシェルに学校を開くようにと頼んだ。モンフォールはポワチエで総合病院を開いていたマリー・ルイ・トリシェに協力を依頼した。マリー・ルイはモンフォールの信奉者であり、モンフォールの手助けができるようにと、ポワチエで⒑年間、彼を待っていた。1715年にマリー・ルイは、カトリーヌ・ブリュネ(Catherine Brunet)と共にポワチエを離れて、ラ・ロッシェルに学校を開いた。その学校は一時期、400名にもなった。 1715年8月22日に、マリー・ルイ・トリシェとカトリーヌ・ブリュネに加えて、ラ・ロッシェルのマリー・ヴァリウ(Marie Valleau) マリー・レニエ(Marie Régnier) らは、ラ・ロッシェルの司教からモンフォールの指導のもとに修道会を開く許可を受けた。この開設式典でモンフォールは修道女たちに「英知修道女会」と名乗り、子供たちの教育や貧しい人たちの世話をするように言った 。この修道女会は世界的な組織に成長した。そして聖パウロ大聖堂がこの会の拠点となり、そこにはモンフォールの像が設置されている。
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