芸能、評論、その他の活動
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「ハービー・ピーカー」の記事における「芸能、評論、その他の活動」の解説
コミック作品の成功を受けて、1986年10月15日に『レイト・ナイト・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』にゲストとして招かれた。それ以後もたびたび同番組に出演し、短期間に5回の再登場を果たした。ピーカーとレターマンとの口論は人気を集め、特にゼネラル・エレクトリック社によるNBC経営権の取得を巡る論争は評判となった。中でも白熱した1988年8月31日放映回では、ピーカーがレターマンをGE社の宣伝マンのようだと罵ったのに対し、レターマンはピーカーが子供だましの読み物を宣伝に来たと応酬し、二度と出演させないと宣言した。しかし、1993年4月20日放映回でピーカーは同番組に復帰し、1994年には『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』にも登場した。 ピーカーは熱心なレコード・コレクターであり、20歳ごろからフリーランスでジャズの批評を行っていた。批評家としてはジャズ黄金時代の著名なプレイヤーを専門としていたが、メインストリームから外れたバース(Birth)、スコット・フィールズ(英語版)、フレッド・フリス、ジョー・マネリのようなアーティストの擁護者でもあった。1990年代の初めには、『ロサンゼルス・リーダー』、『ザ・レビュー・オブ・コンテンポラリー・フィクション』、『ウッドワード・レビュー』のような定期刊行物で文学批評を行った[要出典]。公共ラジオで放送された随筆によって賞を受けたこともある。また2000年にはアラン・ツヴァイク(英語版)によるレコード収集についてのドキュメンタリー映画『ビニール(英語版)』に出演した。2007年8月には、アンソニー・ボーディンの番組『アンソニー世界を喰らう』のクリーブランドを紹介する回でピーカーが取り上げられた。 2009年、ジャズオペラ『Leave Me Alone!』のリブレットを書くことで演劇界へのデビューを果たした。同作はダン・プロンジー(英語版)の音楽が主体となっており、リアルタイムオペラとオーバリン大学の共同プロデュースにより2009年1月31日からフィニー礼拝堂で上演された。 2009年、『ボーン(英語版)』の作者ジェフ・スミス(英語版)の人生と作品を題材としたドキュメンタリー映画『ザ・カートゥーニスト』に出演した。
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