花崗岩産業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/10/21 02:42 UTC 版)
「バリ (バーモント州)」の記事における「花崗岩産業」の解説
バリは自称「世界の花崗岩中心」である。米英戦争(1812年-1815年)の後間もなくミルストーンヒルで膨大な花崗岩鉱脈が発見されたことから始まった花崗岩産業とバリ市そのものは、鉄道の開通とともにブームを迎えた。この膨大な花崗岩の堆積は、地質学者の見積もりで長さ4マイル (6.4 km)、幅2マイル (3.2 km)、深さ10マイル (16 km) あるとされ、その名声はヨーロッパやカナダにも広がった。イタリア、スコットランド、スペイン、スカンディナヴィア、ギリシャ、レバノン、カナダなど多くの国から大挙移民がバリに入って来た。人口は1880年の2,060年から1890年に6,790人、1894年に10,000人と増加した。世紀の変わり目には州内でも最も多様な民族構成の町となっていた。 特にイタリアからの移民が急進的で無政府主義労働運動をもたらした。当初は社会主義労働者党に加盟し、その後は世界産業労働組合に入った。1916年と1929年にはアメリカ社会党員が市長になった。昔の社会主義労働者党ホールが今も残っており、2000年にはアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定された。 「バリ・グレー」花崗岩は、肌理が細かく、組織が均一であり、耐候性に優れていたので、世界中でもてはやされた。屋外彫刻にこの花崗岩を好む彫刻家が多かった。1936年、バリの花崗岩石切り場1つから35トンの石を切り出した。 バリ市にあるホープ墓地には彫刻家の作品が多く展示されている。
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