芝三光 (小林和雄)
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江戸しぐさの教育組織である「江戸講」の長である江戸講元の子孫だったという小林和雄は、昭和に入ってから江戸しぐさを復興した。小林の父は外交官、母は米国企業の英文タイピストであった。彼は母がカナダのバンクーバーから帰国する途中の船中で生まれたが、愛人の子であったために世間をはばかり、母方の祖父に預けられた。そこで江戸しぐさによる教育を受けた。 小林和雄は戦後の風俗の退廃を憂い、芝三光・うらしまたろうと称し、社会教育団体「江戸の良さを見なおす会」として江戸講を復活させた。戦後、柳田國男から取材の申し込みを受けたが断ったという。扇谷正造とは意気投合したが先方の急逝で取材は実現しなかった。 芝 (小林)は読売新聞・東京新聞の読者投稿欄などで江戸しぐさの効用を説き、読売新聞編集委員村尾清一が自分のコラム「よみうり寸評」(1983年3月23日)で取り上げ、それを読んだ越川禮子が芝(小林)に弟子入りした。芝三光は弟子の越川禮子・和城伊勢に江戸しぐさを伝授した。1999年、芝の病没のあと、越川が門外不出の秘儀であった江戸しぐさをマスメディアに公開した。
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