旧開智学校
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旧開智学校(きゅうかいちがっこう)は、1876年(明治9年)に長野県松本市本町一丁目(現在の松本市中央2丁目)に建てられ、その後、現在地である松本市沢村(現在の松本市開智2丁目)に移築された明治時代初期の擬洋風建築の校舎である。文明開化時代の小学校建築を代表する建物として広く知られている[6]。1963年(昭和37年)3月まで松本市立開智小学校の校舎として使用されていた。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 松本市立博物館 2013a.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 米山勇 2010, p. 250-251.
- ^ a b c d 文化庁.
- ^ a b c d e f g 藤森照信 1990, p. 247-261.
- ^ a b c d e f g h i j k l 北原広子 2013, p. 6-11.
- ^ a b c d 藤森照信 1995, p. 151-156.
- ^ a b c d 令和元年9月30日文部科学省告示第70号
- ^ “「開智学校」国宝に 学校建築で初、教育の始まり象徴(写真=共同)”. 日本経済新聞 電子版. 2019年5月17日閲覧。
- ^ 敷地は、後の松本市中央1丁目21-3(長野県理容会館スカイビル)を含む一角である。この地番の北西の角には、2002年に「旧開智学校跡」の石碑が建てられた。Google ストリートビュー
- ^ “明治24年(1891)の2円は、現在のお金に換算するといくらか。”. レファレンス協同データベース. 国立国会図書館 (2009年4月30日). 2021年8月19日閲覧。
- ^ “学校の歩み(沿革)”. 長野県松本深志高等学校 (2021年1月26日). 2021年8月18日閲覧。
- ^ 松本市立博物館 2013b.
- ^ 新まつもと物語プロジェクト 2006.
- ^ a b c 文化庁文化財部「新指定の文化財」『月刊文化財』671、第一法規、pp.9 - 12
- 1 旧開智学校とは
- 2 旧開智学校の概要
- 3 沿革
- 4 建築概要
- 5 出身者
旧開智学校
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明治時代初期に建てられた校舎を利用した教育博物館。2005年に岩科学校と姉妹館提携している。
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