自治政府時代
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1959年6月1日の総選挙で、人民行動党は51議席中43議席を獲得した。シンガポールは、国防と外交を除いた国内問題に関する自治権を得るようになり、6月3日にリーは首席長官だったリム・ユーホクに代わって、シンガポールの初代首相に就任した。首相に就任する前には、リム・ユーホク政権下で逮捕されたリム・リンシオンとデヴァン・ナイルの釈放を要求して、実現させている。 リーは教育や住居、失業などさまざまな問題の解決に取り組み、住宅問題に関しては「住居及び開発委員会 (Housing and Development Board, HDB)」を設立した。 マラヤ連邦の首相であるラーマンが、1961年にマラヤ連邦とシンガポール、サバ州、サラワク州を含む連邦の形成を提案した後、リーはマラヤ連邦との合併を実現するべく、イギリスの植民地支配を終えるための運動を開始した。そのために、1962年9月1日に実施された国民投票の結果を利用し、そこでは、投票者の70%がリーの提案を支持したという結果が出されており、住民の大多数がイギリスからの完全独立を望んでいるということを如実に表していた。 リーはこれらの運動の間に、合併に対して強硬に反対し一説では破壊活動にも関与していたとされる容共派のグループを壊滅に追い込んだ。
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