自動車生産の撤退後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 17:01 UTC 版)
日産・チェリーが3代目へのフルモデルチェンジを機にパルサーに車名変更された後も、従来通り「日産・チェリー店」の名称で存続され、広告上では「パルサー販売会社」又は「パルサー販売」と称されていたが、昭和60年代前半から平成初期にかけて、大半の「日産・チェリー店」が「日産・プリンス店」に統合されており、現在の日産・レッドステージ系列販売会社の礎の1つとなる。 自社ブランドでの自動車生産から撤退以降は、日産自動車の小型車のエンジン・トランスミッションの生産を手がけ、更にはバネット、セレナ、ラルゴ、サニートラック、サニーキャブ/チェリーキャブ、パオの完成車開発・生産までをも行ったが、1999年2月に車両事業継続が困難となった為、ユニット専門工場として再スタートを切るべく車両生産からの撤退が発表され、後に日産自動車が発表した経営再建計画「日産リバイバルプラン」に合流する形となり、2001年に港工場が閉鎖(同時に日産自動車村山工場、日産車体京都工場も閉鎖)されて完成車生産から撤退した。 当初は、永徳工場を閉鎖して生産設備を港工場に移設することになっていたが、工場閉鎖のみの場合より費用がかかるために方針を転換して港工場の閉鎖となった。港工場で生産されていたC24型セレナは2001年1月より日産自動車栃木工場に順次移管された。現在は、エンジン・トランスミッションの生産専業に徹して完成車生産は行っていないが、他メーカーへも販路を広げている。例を挙げると、三菱・ランサーエボリューションVIIIの6速マニュアルトランスミッションは愛知機械製であり、日産以外の自動車企業との初の取引でもあった。現在では、軽自動車用のCVT(無段変速機)の他、前述の三菱以外にマツダ、フォード・モーター、現代自動車、ルノー、プロトンにもマニュアルトランスミッションを納入している。2007年12月に発売された日産・GT-R用のGR6型デュアルクラッチトランスミッションも愛知機械製である。
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