背後への奇襲上陸・箱館市街の戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 11:06 UTC 版)
「箱館戦争」の記事における「背後への奇襲上陸・箱館市街の戦闘」の解説
一方、同日未明、豊安丸と飛龍丸に分乗した陸軍参謀・黒田清隆率いる新政府軍700名が夜陰に紛れて箱館山の裏側に上陸した。豊安丸の部隊は西北側の山背泊から上陸し、弁天台場の背後を脅かした。黒田直率の飛龍丸の部隊は西側の寒川付近に上陸し、絶壁をよじ登って箱館山の山頂に到達。山頂にいた旧幕府軍監視兵は驚いて遁走し、夜明けまでには箱館山を占領した。このとき、遊軍隊が箱館山薬師堂で奇襲部隊を迎え、山道の案内にあたった。 新政府軍の奇襲上陸に対し、箱館奉行・永井尚志は弁天台場に入り守備を固め、瀧川充太郎が新選組、伝習士官隊を率いて箱館山へ向かった。しかし、山頂からの攻撃は圧倒的で、大森浜沖の陽春からの艦砲射撃もあって一本木関門付近まで退き、さらに五稜郭まで後退した。午前11時ごろには箱館市街は制圧されたが、弁天台場の旧幕府兵が材木屋に放火、瞬く間に火が広がり、872戸を焼失した。 箱館市街を制圧した新政府軍は一本木関門方面に進出する。これに対して、土方歳三は孤立した弁天台場の救出に向かうが、一本木関門付近で指揮中に狙撃され戦死。さらに副総裁・松平太郎が箱館奪還を試みるが失敗し、五稜郭、弁天台場、千代ヶ岱陣屋のみが残るだけとなった。 この間、箱館病院では院長の高松凌雲が、赤十字の精神で病院の非武装中立を謳い、敵味方の隔てなく戦傷者の治療に当たっていた。5月11日の戦闘の最中、新政府軍が病院内に乱入する。殺気立った新政府軍と患者を守ろうとする高松の間で押し問答が続いたが、薩摩藩士・山下喜次郎が高松の主張を聞き入れ、病院の門前に「薩州隊改め」の墨書きを残して退いた。分院の高龍寺では非武装が徹底されておらず、松前藩兵・弘前藩兵により十数名が殺害、放火されている。 5月12日には五稜郭に対して箱館湾の甲鉄による艦砲射撃が始まり、古屋佐久左衛門が重傷を負ったほか、死傷者が続出した。また、旧幕府軍では脱走兵が相次いだ。
※この「背後への奇襲上陸・箱館市街の戦闘」の解説は、「箱館戦争」の解説の一部です。
「背後への奇襲上陸・箱館市街の戦闘」を含む「箱館戦争」の記事については、「箱館戦争」の概要を参照ください。
- 背後への奇襲上陸・箱館市街の戦闘のページへのリンク