肌合いの届くところに胡瓜咲く
作 者 |
|
季 語 |
|
季 節 |
夏 |
出 典 |
|
前 書 |
|
評 言 |
作者は二十代。結婚して3年ほどになったろうか。現在は新婚時のうきうきとした空気は薄らいだのかも知れないが、ふんわりとした生活の幸せを実感しているところだろう。「肌合いの届くところ」その間合いをやっと得たのかも知れない。この丁度良い間合い、これは夫婦でなくとも通じることだ。友達との間合い、親子の間合い、兄弟の間合い、師弟の間合い。そこに咲くのは特別の花ではない、「胡瓜」の花なのだ。日常の生活に普通にある食材胡瓜。その花は意外にも可愛らしい。今頃から黄色の花が見られるが、目立たず黙々と実を膨らませて育つ。 時に俳句はその作者の人格を表すようだが、成宮颯もそんな女性である。 キャベツ畑を動かして蝶生まれけり 亡き祖父の記憶籐椅子南向き 河童忌やわが一髪をなめてみる 夏の旅鞄二つに荷を分ける 向日葵のひとつは大きく明日を見る (句集『颯天』より) これは彼女が中学生の頃書いた俳句。果たして山のものとも海のものとも付かぬ彼女が私の家に出入りするようになったのは、小学校の高学年の頃だった。何を思ったのか考えたのか、素直に俳句を作り始めた少女が、既に主婦として台所に立っているのかと思うと、その時間が眩しい。その間に、丁度良い「肌合い」を得た一人の女性として逞しくも感じる。 形而上学ゆるんでメロン切る 金魚すくいしてから薄くなる私(合同句集『祭演Ⅴ』より) 「只今まだまだ勉強中」と言い切る彼女、まだ二十代半ばだというのに、生きてきた年月の半分は俳句に拘わっていられたというのは、私にとっては羨ましい。俳句にのめり込むにつけ、「難しい」と嘆息を漏らすのを聞きながら、若手の一端を担う一人として成長してくれることを願う。 出典:合同句集『祭演Ⅴ』 写真はplatero飛孤爺 《 弾け飛ぶ! 》より |
評 者 |
|
備 考 |
- 肌合いの届くところに胡瓜咲くのページへのリンク