聖ヒエロニムス (ぺレーダ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/26 09:45 UTC 版)
スペイン語: San Jerónimo 英語: Saint Jerome |
|
![]() |
|
作者 | アントニオ・デ・ペレーダ |
---|---|
製作年 | 1643年 |
種類 | キャンバス上に油彩 |
寸法 | 104.3 cm × 84 cm (41.1 in × 33 in) |
所蔵 | プラド美術館、マドリード |
『聖ヒエロニムス』(せいヒエロニムス、西: San Jerónimo, 英: Saint Jerome)は、17世紀スペイン・バロック期の画家アントニオ・デ・ペレーダが1643年にキャンバス上に油彩で描いた絵画である。バロック期に最も人気のあった聖人の1人の聖ヒエロニムスを主題としている[1]。作品はスペインの王室コレクションに由来し[1]、現在はマドリードのプラド美術館に所蔵されている[1][2][3]。
作品


聖ヒエロニムスは、341年にダルマチア地方の高貴なキリスト教徒の家に生まれた[4]。ローマで学問を修めた後に神学者や聖書註解者と交流を持つために各地を巡り、さらに353年から5年間ギリシアの荒野で隠遁生活を送った。ローマにもどってからは、卓越した語学力と知識を駆使し、旧来の聖書のラテン語の訳文をヘブライ語の原典と照合した上で改定した。絵画では、荒野を背景に自らの胸を石で打つ姿がしばしば描かれる[4]。
聖ヒエロニムスがバロック期のスペインで人気があったのは、対抗宗教改革時代の最も好まれた教義、すなわち悔悛を強調した人物であったからである[1]。本作の聖ヒエロニムスは、最後の審判の日に死者を召喚するトランペットの音に耳を傾けている[1][2]。最後の審判は開かれた本の木版画に表現されているが、これはドイツ・ルネサンスの巨匠アルブレヒト・デューラーによる著名な図像である。ペンとインク壺は聖人が執筆に献身したことを証だてる一方、閉じられた本の上にある髑髏とその左下の石は悔悛の象徴となっている[1][2]。
聖ヒエロニムスのアトリビュート (人物を特定する事物) であるこれらの品々には、フアン・バン・デル・アメンとともにボデゴン (スペインの厨房画、静物画) の名人であるぺレーダの卓越した技量が発揮されている[1][2]。ちなみに髑髏と本はヴァニタスといわれる静物画一般に登場し、鑑賞者に現世の事物や栄光などの儚さについて思案させるものとなっている[1]。
ぺレーダは静物画に秀でていただけでなく多彩な画家で、細部への関心と緻密な描写、暖色の使用などで特徴づけられる作品を制作した。ぺレーダの傑作のうちに数えられる本作は、彼の画業の中期に典型的な様式を示している[1]。聖人の表現方法[2]と力強い対角線による構図は、絵画と版画によりこの種の図像を広めたホセ・デ・リベーラに由来する[1]。本に描かれている版画は、ぺレーダに影響を与えたデューラーと北方の絵画へのオマージュである。ぺレーダは、色彩的にフランドル絵画やヴェネツィア派の影響も受けている[2]。しかし、彼は、これらの影響を非常に個性的な方法で融合している[1]。
脚注
参考文献
- 国立プラド美術館『プラド美術館ガイドブック』国立プラド美術館、2009年。ISBN 978-84-8480-189-4。
- 岡田温司監修『「聖書」と「神話」の象徴図鑑』、ナツメ社、2011年刊行 ISBN 978-4-8163-5133-4
外部リンク
- 聖ヒエロニムス_(ぺレーダ)のページへのリンク