聖クリスピンの祭日の演説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 06:18 UTC 版)
「ヘンリー五世 (シェイクスピア)」の記事における「聖クリスピンの祭日の演説」の解説
今日はクリスピヤン祭と称される日だ。今日死なゝいで帰国する者は、此後(こののち)此祭日が来た時には、クリスピヤンの名を聞くと同時に、(我れ知らず)足を爪立て(我ながら肩身を広く感ず)るであろう。今日死なないで老いに及ぶ者は、年々此祭の前夜(よみや)に隣人を饗応して、明日(あす)は聖(セント)クリスピヤンだといって、袖を捲(まく)って古傷を見せて、こりゃクリスピヤン祭に受けたのだといふだろう。老人は忘れっぽい。何もかも忘れるだらうが、此日にした事だけは、利子を附けて憶ひ出すだらう。その際、彼等の口に俗諺(ことわざ)のやうに膾炙(くわいしゃ)するのは我々の名だらう。王ハーリー、ベッドフォードにエクシーター、ウォーリックにタルボット、ソルズバリーにグロースターを、彼等はなみなみと注(つ)いだ酒盃(さかづき)を挙げて、又新たに憶ひ出すだらう。戸主が此話を其息子に伝へるから、今日から世界の終るまで、クリスピヤンが来さへすればわれわれの事は憶ひ出される。われわれは、われわれ幸福な少数は、兄弟(けいてい)団とも称すべきだ。今日(けふ)わたしと共に血を流す者はわしの同胞(きやうだい)なんだから。どんな卑賤な者も今日で以て貴紳(きしん)と同列になる。イギリスで今寝てゐる貴紳連は、後日聖(セント)クリスピヤン祭に、われわれと一しょに戦った誰れかに其話を聞きゃ、きっと今日こゝにゐなかったのを残念がり、男がすたったやうに思ふだらう。 — 坪内逍遥・訳 この演説は多くの大衆文化で引用されている。 スタンダール『パルムの僧院』(1839年) - 「to the happy few(幸福な少数へ)」として引用されている。 スティーヴン・アンブローズのノンフィクション『バンド・オブ・ブラザース』 - 題名は演説の一節「we band of brothers」から取られている。 映画『ブレイブハート』(1995年) - メル・ギブソンはディレクターズ・コメンタリーの中で、脚本家ランドール・ウォレス(Randall Wallace)は、『ヘンリー五世』の聖クリスピンの祭日の演説を、ウィリアム・ウォレスの戦いの前の演説の基にしたと語った。 映画『勇気あるもの』(1994年) - 演説の引用の他に、ダニー・デヴィート扮する主人公は教え子たちに『ヘンリー五世』の劇を見せるためカナダに連れて行く。 また大衆文化と実生活の両方で、戦争への感動的劇的なスローガンは、「聖クリスピンの祭日の演説(St. Crispin's Day Speech)」と呼ばれている。
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