聖クリスピンの祝日の演説
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「クリスピヌスとクリスピニアヌス」の記事における「聖クリスピンの祝日の演説」の解説
聖クリスピヌスの名を最も有名にしたものは、ウィリアム・シェイクスピア作の『ヘンリー五世』の中で、アジャンクールの戦い(1415年10月25日)の直前のヘンリー5世の演説だろう。この演説の中で、クリスピニアン(Crispinian)の名前が「クリスピアン(Crispian)」と綴られている。おそらく、シェイクスピアの時代のロンドンでの発音だけでなく、弱強五歩格に合わせる意味もあったのだと思われる。 全文は以下の通りである。 今日はクリスピヤン祭と称される日だ。今日死なゝいで帰国する者は、此後(こののち)此祭日が来た時には、クリスピヤンの名を聞くと同時に、(我れ知らず)足を爪立て(我ながら肩身を広く感ず)るであろう。今日死なないで老いに及ぶ者は、年々此祭の前夜(よみや)に隣人を饗応して、明日(あす)は聖(セント)クリスピヤンだといって、袖を捲(まく)って古傷を見せて、こりゃクリスピヤン祭に受けたのだといふだろう。老人は忘れっぽい。何もかも忘れるだらうが、此日にした事だけは、利子を附けて憶ひ出すだらう。その際、彼等の口に俗諺(ことわざ)のやうに膾炙(くわいしゃ)するのは我々の名だらう。王ハーリー、ベッドフォードにエクシーター、ウォーリックにタルボット、ソルズバリーにグロースターを、彼等はなみなみと注(つ)いだ酒盃(さかづき)を挙げて、又新たに憶ひ出すだらう。戸主が此話を其息子に伝へるから、今日から世界の終るまで、クリスピヤンが来さへすればわれわれの事は憶ひ出される。われわれは、われわれ幸福な少数は、兄弟(けいてい)団とも称すべきだ。今日(けふ)わたしと共に血を流す者はわしの同胞(きやうだい)なんだから。どんな卑賤な者も今日で以て貴紳(きしん)と同列になる。イギリスで今寝てゐる貴紳連は、後日聖(セント)クリスピヤン祭に、われわれと一しょに戦った誰れかに其話を聞きゃ、きっと今日こゝにゐなかったのを残念がり、男がすたったやうに思ふだらう。 — 坪内逍遥・訳 この演説はさまざまな小説、映画で引用されている。
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