老け役について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 23:59 UTC 版)
若い頃から老け役が多く、30代後半で、既に「老女役は北林」と評され、日本を代表するおばあちゃん役者として知られた(元々1930年代の頃の映画界や演劇界での年寄り役は、重要な役どころは少なく、どちらかというと物語の都合上、辻褄合わせに登場する機会が多かったとされる)。年寄り役は台本での書かれ方も役者の年寄りの演技もお粗末なものだったため、北林曰く「当時の女優たちにとっておばあさん役は貧乏くじを引くようなものだった」。加えて「おばあさん役は美人な女優にはオファーされることが少なく、大抵はブスな人が演じていた」とのこと。 このことに不満を持っていた北林は、しょっちゅう宇野に「年寄り役の人物描写をもっと掘り下げるべき」などと述べていた。すると、ある日、宇野から先述の『左義長まつり』で重要な位置づけのおばあさん役を依頼されて出演すると、当時30代だった北林にとって初めての老け役となった。「依頼してくれた宇野に絶対に恥をかかせまい」という一心で懸命に演じると、このおばあさん役が好評を得たという。 これをきっかけに多くの作品で老女役を依頼されるようになり、特に映画・テレビ共に、田舎の農村・漁村・山村で生活するおばあさんを演ずることが多かった。衣装は自前であった。盛岡の朝市のおばさんの着物や朝鮮人のおばあさんの古着など、「生活の苦汁」がしみ込み「生活の垢」がついたキモノを集めて愛蔵し、さまざまな役に応じて着なしていた。地方公演の際、農家に案山子の服がほしいと頼んだこともある。また映画『キクとイサム』では、役作りのため前歯を抜いたという。 一時は業界の一部から“バカの一つ覚え”と言われることもあったが、それを意に介さず老女役を演じ続けた。老け役として認知されてきたある日、宇野から「あんたよくババァ役ばっかりやって飽きねーな」と言われ、腹を立てて「ババァ役を初めに依頼したのはあんたでしょ」と言い返したとのことである。
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