義勇戦闘隊の実戦例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 05:33 UTC 版)
詳細は「樺太の戦い (1945年)」を参照 実際に本土決戦が生起する前に終戦を迎えたため、義勇戦闘隊が実際に編成・動員されることはほとんどなく、実戦を経験することもなかった。また「鉄血勤皇隊」などの少年兵が防衛召集された沖縄戦は「義勇兵役法」の施行の日に組織的戦闘を終えている(17歳未満の者は陸軍省令により防衛召集された。)。 例外的に、樺太では広く国民義勇戦闘隊が編成され、1945年(昭和20年)8月9日のソ連対日参戦により侵攻してきたソ連軍を迎撃するため、正規の陸海軍部隊とともに、同18日に発された停戦命令を受け取るまで実戦に参加している。樺太では同年8月1日に樺太鉄道連合義勇戦闘隊が編成されたのを最初に、同年8月13日には全地区に対し義勇召集と義勇戦闘隊の編成が発令されており、第88師団の指揮下に編入されて警戒や陣地構築、避難誘導などを行った。恵須取支庁では直接の戦闘任務にも参加し、劣悪な装備状況にもかかわらず善戦している。また、8月1日に編成された鉄道義勇戦闘隊においても、駅に留まった鉄道職員による状況報告が行われたほか、樺太最北端の古屯駅には女子を含む職員全員が留まって輸送業務を行った。軍用列車への攻撃により、鉄道義勇戦闘隊では80名が犠牲になったとされている。
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