美満壽館時代
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1921年(大正10年)、札幌区南5条西3丁目(現在の札幌市中央区南5条西3丁目)に美満壽館として設立される。大正末年の1920年代には、札幌市内の映画館は、同館のほか、錦座、帝国館、中央館、遊楽館、金春館、松竹館、エンゼル館、八二館の8館が存在した。 1927年(昭和2年)4月22日付『北海タイムス』に同館が出した広告によれば、ユナイテッド・アーティスツが1924年(大正13年)に製作したD・W・グリフィス監督の『素晴らしき哉、人生!』、日活大将軍撮影所が製作し同年2月9日に東京では公開されていた内田吐夢監督の現代劇『競走三日間』、同じく同年1月28日に東京では公開されていた中山呑海監督の時代劇『愛闘苦闘』が2か月遅れで上映されている。同年の時点では、札幌市内の映画館は、同館のほか、九島興行の中央館、遊楽館、三友館(のちの日活館)、および盛賑館、松竹座、エンゼル館、別当興業の美登喜館、八二館の8館が存在しており、3年後の1930年(昭和5年)時点でも変わらなかった。当時同館専属の活動弁士に、作家の小林多喜二と親交があった五條楓声がいた。1928年(昭和3年)5月10日には、樺太庁豊原高等女学校の4年生が修学旅行を行った際、美満壽館で活動写真を観賞した記録が残っているが、稚内北星学園大学の資料では、女学生達が観賞した作品については触れられていない。 第二次世界大戦終戦から4年後の1949年(昭和24年)、札幌大映劇場に改称され、大映の封切館となったが、その後、同館の東宝による買収にあたり、「札幌大映劇場」は北4条西3丁目に移転した(1974年閉館)。
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