美満壽館時代とは? わかりやすく解説

美満壽館時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 01:07 UTC 版)

札幌東宝公楽」の記事における「美満壽館時代」の解説

1921年大正10年)、札幌区5条西3丁目(現在の札幌市中央区5条西3丁目)に美満壽館として設立される大正末年1920年代には、札幌市内映画館は、同館のほか、錦座帝国館中央館遊楽館、金春館松竹館、エンゼル館、八二館の8館が存在した1927年昭和2年4月22日付『北海タイムス』に同館が出した広告によればユナイテッド・アーティスツ1924年大正13年)に製作したD・W・グリフィス監督『素晴らしき哉、人生!』日活大将軍撮影所製作し同年2月9日東京では公開されていた内田吐夢監督現代劇競走三日間』、同じく同年1月28日東京では公開されていた中山呑海監督時代劇『愛闘苦闘』が2か月遅れで上映されている。同年時点では、札幌市内映画館は、同館のほか、九島興行中央館遊楽館、三友館(のちの日活館)、および盛賑館、松竹座エンゼル館別当興業美登喜館、八二館の8館が存在しており、3年後1930年昭和5年時点でも変わらなかった。当時同館専属活動弁士に、作家小林多喜二親交があった五條声がいた。1928年昭和3年5月10日には、樺太庁豊原高等女学校4年生修学旅行行った際、美満壽館活動写真観賞し記録残っているが、稚内北星学園大学資料では、女学生達が観賞し作品については触れられていない第二次世界大戦終戦から4年後の1949年昭和24年)、札幌大映劇場改称され大映封切館となったが、その後、同館の東宝による買収にあたり、「札幌大映劇場」は北4条西3丁目に移転した1974年閉館)。

※この「美満壽館時代」の解説は、「札幌東宝公楽」の解説の一部です。
「美満壽館時代」を含む「札幌東宝公楽」の記事については、「札幌東宝公楽」の概要を参照ください。

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