美徳対商業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 06:12 UTC 版)
「アメリカ合衆国の共和主義」の記事における「美徳対商業」の解説
J・G・A・ポーコックが指摘しているように、個人的経済利益(ロックの自由主義に基づく)と古典的な共和主義の間の紛争について未解決の問題がアメリカ人を悩ませてきた。ジェファーソンとマディソンは、連邦党が国定銀行を創設することは腐敗と君主制に近づいているとして、厳しく非難した。アレクサンダー・ハミルトンは断固としてその計画を弁護し、国の経済力は自由を守るために必要であると論じた。ジェファーソンが折れることは無かったが、マディソンは1815年に考え方を変え、国定銀行に賛成すると表明した。第二合衆国銀行は1816年に設定された。 ジョン・アダムズは市民の美徳について熟考することが多かった。1776年にマーシー・オーティス・ウォーレンに宛てた文書で、ギリシャ人やローマ人の考え方に同意し、「大衆の美徳は私的なものが無ければ存在できず、大衆の美徳が共和国の唯一の基礎である」と記した。アダムズは「大衆の善、大衆の関心、栄誉、力、栄光には、大衆の心の中で打ち立てられた肯定的な情熱があるに違いない。さもなくば、共和制政府も真の自由もあり得ない。この大衆の情熱は全ての私的な情熱に勝っているに違いない。人は、社会の権利と競合する立場にあるとき、その私的な喜び、情熱および関心を、それどころか、その私的な友情や親愛な関係者を犠牲にすることに備え、それを誇り、また幸福であらねばならない。」と述べていた。 アダムズは、事業家が共和制の義務と相容れない金銭的利益を持っていることを心配した。実際に特に銀行には懐疑的だった。「商業の精神は、幸福な共和国にとって必要である心の純粋さと精神の偉大さとは両立できない」と歴史が教えていると判断した。しかし商業の精神がアメリカに浸透していた。アダムズはニューイングランドで「農夫や職人ですら商業に依存している、」その結果「そこでは共和制政府が大変な派閥の争いになり荒れ狂う大きな危険性」があると述べた。
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