美少女ゲーム誌化、そして休刊へ
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「テクノポリス (雑誌)」の記事における「美少女ゲーム誌化、そして休刊へ」の解説
1980年代後期になると、ファミコンを代表とする家庭用ゲーム機が一般化し、ゲームを遊ぶ装置としてのパソコンの優位性は急速に失われていった。以後、パソコンゲームは家庭用ゲームでは扱いが難しいアダルトゲーム・同人ソフトを中心に発展していくこととなる。 以前から度々美少女ゲーム特集を組んでいた本誌もこの流れに追随し、「ちょっとカゲキな パソコンプレイングMagazine」として、パソコンの美少女ゲームを大きく取り扱う雑誌へと変化した。当時、徳間書店は「美少女ゲーム」という用語を商標登録していたほどであったが、あくまで美少女を対象にしたものでアダルトゲーム中心ではなく、他にもRPGやストラテジーゲームなど硬派なものも一貫して取り扱った。また、初期からのCGプログラムの流れを受けて、CG講座や、ぬり絵コンテスト、CGを描くユーティリティの特集などもよく組まれた。 この頃になると紙面サイズも従来より若干小型化され、雑誌全体が刷新された。表紙にはアニメーターとしても名を馳せていたイラストレーターのいのまたむつみが起用され、アニメ・ゲーム両方のファン層を取り込むことに一役買っている。また、出版だけでなくゲーム制作にも進出した。これについては、徳間書店インターメディア#ゲームソフトを参照。 1993年9月号からは「パソコンゲーム情報誌」として体験版のフロッピーディスクを付属させるなどしたが、1994年2月8日発売の同年3月号を最後に休刊した。 なお、編集スタッフの一部はアダルトゲーム紹介が取り止めとなった際に独立し、『BugBug』や『PC Angel』の編集に携わっている。2誌とも創刊時の作りが本誌に似ていたのは、このためである。
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