繁子内親王 (光孝天皇皇女)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/20 07:53 UTC 版)
Jump to navigation Jump to search
![]() |
この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2018年6月)
|
繁子内親王(はんしないしんのう、生年不詳 - 延喜16年5月26日(916年6月29日))は、平安時代前期の皇族。光孝天皇第4皇女、伊勢斎宮。
父である光孝天皇の即位にともない、元慶8年(884年)3月22日に斎宮に卜定。同年4月9日に内親王宣下、8月13日に雅楽寮へ初斎院入り。仁和元年(885年)9月18日、野宮へ入る。同2年(886年)9月25日、伊勢へ群行(長奉送使は中納言藤原山蔭以下4名)。同3年(887年)10月11日、光孝天皇の崩御により退下。延喜16年(916年)5月26日、三品で没。
『日本三代実録』によれば伊勢下向の際に更衣滋野直子が随行しており、このことから彼女が繁子内親王の生母であったとする説がある。
脚注
参考文献
- 芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』(日本図書センター、1993年)
- 角田文衛監修『平安時代史事典』(角川書店、1994年)
- 山中智恵子『続斎宮志』(砂子屋書房、1992年) ISBN 4-7904-9221-4
|
- 繁子内親王 (光孝天皇皇女)のページへのリンク