総選挙と保守派の勝利
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 05:56 UTC 版)
「フランス第二共和政」の記事における「総選挙と保守派の勝利」の解説
3月初旬、憲法制定国民議会の開催にむけて、選挙に関して21歳以上の成人男子選挙権に基づく法令が示された。 4月23日に国政選挙(英語版)が実施され、880人の議員によって議会が発足した。総選挙は穏健共和派と保守派の秩序党(英語版)が躍進を果たし、社会主義者にとって極めて厳しい結果になった。そもそも地方には社会主義に共感を抱く層が少なかったことに加え、パリでもかつてのフランス革命のような急進的なジャコバン独裁への恐怖感があったことから、社会主義者は議会に進出することができなかった。また、そもそも全国で選挙を行い各地の総意に基づいて政治を運営するということが、直接行動に訴えて革命の担い手となってきたパリ市民の地位を相対的に低下させることになっていた。 左翼陣営は自らの政治的主張を実現できないと考え、徐々に直接行動を激化させていった。そして、新議会で国立作業場が閉鎖されたことを契機に、パリの労働者が大規模な武装蜂起を起こした。これがいわゆる六月蜂起である。4日間の流血戦を経て蜂起は鎮圧され、政府側703名、労働者側3035名に及ぶ多数の死者を出した。この事件により、それまで共闘してきたブルジョワとプロレタリアートの関係が決裂した。政府側を支持するブルジョワは、反政府的な労働者による社会主義革命を警戒するようになり、これまでのように革命の担い手にはならなくなった。むしろ、社会の安穏を求めて保守化した政府を支持するようになるのである。こうして、市民革命の時代は終焉へと向かった。 詳細は「1848年のフランス革命」を参照
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