総選挙と総辞職
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:26 UTC 版)
「ロバート・ガスコイン=セシル (第3代ソールズベリー侯)」の記事における「総選挙と総辞職」の解説
1885年11月の総選挙(英語版)で自由党が322議席、保守党が251議席、アイルランド国民党が86議席をそれぞれ獲得した。 保守党は少数党のままだったが、ソールズベリー侯爵は自由党の過半数割れを口実にして政権に留まった。また自由党が過半数割れしたことで保守党は選挙前よりアイルランド国民党との連携に固執しなくなった。 1886年1月21日に議会が招集され、ソールズベリー侯爵は施政方針演説でアイルランドに対して強圧法案と土地改革法案の二点セット、つまり「飴と鞭」で臨むことを表明した。 強圧法案に反発したアイルランド国民党はアイルランド自治を主張するグラッドストンの自由党と結び、1月26日に施政方針演説の修正動議を可決させ、ソールズベリー侯爵内閣を総辞職に追い込んだ。
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