絹本著色審海像とは? わかりやすく解説

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絹本著色審海像

主名称: 絹本著色審海像
指定番号 1932
枝番 00
指定年月日 1995.06.15(平成7.06.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書 一山一寧の賛がある
員数 1幅
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  像主の妙性房審海(一二二九一三〇四)は、南山律にも博識のきこえが高かった関東東密の僧、慈猛に法を受けたが、文永四年(一二六七)、下野薬師寺にあって忍性推挙を受け、北条実時律宗改めた称名寺の住寺に迎えられた。嘉元二年(一三〇四)、七六歳で当寺示寂しており、称名寺開山とされている。画面向かって右上隅には、正安元年一二九九)に来日し建長寺円覚寺南禅寺等の住寺を勤めた元の禅僧一山一寧(~一三一七)の賛がある。画絹の上部が切りつめられているが、現状では「□行純全□ □□老之嗣/□大開此山法席不謬/□十六能事宗風永□傳 一山一寧謹題「印文不詳」(朱文方印)」と読める。賛は像主の上部にあるのが通常であってこの位置にあるのはやや異例である。いずれにせよ本図は審海が示寂した嘉元二年から、一山が京の南禅寺移った正和元年一三一二)の間に制作された遺像と考えられよう。
 審海の像には、袈裟を環で吊り偏衫へんさん】を左前着けるなど、律宗としての特徴みられる。ただ、多く律宗祖師画像においては、手に払子【ほつす】を執り、あるいは前に経巻乗せたを置くといった形式をとるのに対し本図のように両手禅定印を結んでいるものは例が少ない。著賛者禅僧一山であることを考慮すれば、禅宗との何らかの思想的交流があったことの表れ想像することも可能であろう
 像の両肩の線、偏衫襟元の線には修正痕跡があるが、これは制作当初のものとみられる描写には優れたものがあり、ことに顔貌は、細緻柔軟な墨線によって細かな皺や、窪んだ眼窩眼光鋭い眼などを描き、審海の老境とその個性的な風貌をよく表現しているといえよう全体寒色用いている点でも、宋画の影響受けたわが国鎌倉後期高僧像の好例であり、制作期がほぼわかることでもその価値は高い。


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