結果と考察の違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 06:31 UTC 版)
"Result"と"Discussion"の境界は、"Result"と"Method"の境界同様、現実にはそこまで明確ではなく、実際の論文でも、"Result"と"Discussion"(場合によっては"Result"と"Discussion"と"Method")が結合されることがよくある。一般にどこまでが結果で、どこまでが考察なのかは、研究目的に依存する。この線引きの1つの目安としては、ある“事実”が、それの立証に、ある程度高度な推論過程を要求される場合(自明でないあるいは自明でないという立場をとる)には、「仮説」であり、考察に記述すべきであるが、推論過程が単純な場合には"Result"の中で述べてしまってもよい。初等的には“Discussion”には主観が入り、“Result”には主観が入らないというが、主観と客観の差というのは案外曖昧な点もあり、場合によっては表現の問題であることもある。この背景には、測定方法が高度化し、「一切の解釈を含まない純粋な意味での結果」というものが得にくくなっていることがある。しかし、事実と意見を峻別するセンスの重要性は依然として変わらない。このように、Discussionの部分では、「正しい、正しくない」や「適切、適切でない」という問題がますます難しくなる。 提案した学説が自明か否かについては、卒業論文のような習作的なものでは、ある程度熟達したものにとっては、その解釈が自明となる場合もある。さらにいえば、ノーベル賞クラスの論文のにおける考察ですら、「現在の立場」からみればほとんどの研究者にとって自明あるいは常識的なことになっていることが多い。その意味において、「自明でない」という言葉の意味は必ずしも自明でない。自明でないことの基準としては、1つの基準としては、学術論文としては「この論文を提出する以前に誰も同様のことを主張していない」ということがあるが、「同じか違うか」にも解釈を要する部分がある。
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