経済・文化面における活動
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「コンスタンティン・パッツ」の記事における「経済・文化面における活動」の解説
パッツは経済界で積極的に活動した。1919年から1933年の間、パッツは保険会社「エストニアン・ロイド」社長の座にあった。1925年から1929年にかけて国家協力組合のうち商工部会の会長を務め、1935年以降は名誉顧問の地位についた。そのほかにも彼はハルジュ銀行の取締役会長、タリン交流委員会委員長を歴任した。タリン付近のクルーストリメスタ(英語版)で農場を経営していた。その跡地はタリン植物園(英語版)となっている。 1925年から1936年にかけて、フィン・ウゴル諸族という共通点を持つ3つの民族で組織された「エストニア人・フィン人・ハンガリー人民族連絡会」の会長、1936年以降は名誉会長を務める。1927年から1937年、フィン・ウゴル財団会長。 パッツは1928年にタルトゥ大学、1938年にタリン工科大学(英語版)、インドのアンドゥラ大学(英語版)から名誉博士号を授与される。また、1938年にエストニア民族学会(英語版)、1939年にエストニア科学学会(英語版)の名誉会員に認定される。1938年には、エストニア博物学会、エストニア資源協会の名誉会員にも加えられる。フラテニタス・エスティカ(英語版)の名誉卒業生にも数えられ、タリン、ナルヴァ、パルヌ、タルトゥ、タフコランナ郡(英語版)の名誉市民に列せられた。
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