組織内部からの反対運動
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「ジョセフ・フランクリン・ラザフォード」の記事における「組織内部からの反対運動」の解説
一方では、ラザフォードが会長に就任したことに反対する人々もいた。1916年11月にポール・S・L・ジョンソンはイギリスに派遣されたが、彼は自分がラッセルの後継者であると主張した。イギリスの支部から苦情を受け、ラザフォードは委員会を招集し、ニューヨークへ帰るよう伝達した。しばらくして帰ってきたポール・S・L・ジョンソンは、7名から成る理事会の成員のうち4名を味方につけて反対運動を起こした。ラザフォードは会長を辞任して彼らに責任を取らせようと考えたが、他の理事会の成員の勧めにより思い止まった。1917年には初代会長のラッセルが第六巻まで書いた『千年期黎明』(または『聖書研究』)シリーズの第七巻『終了した秘義 (The Finished Mystery)』を発表した。著者はクレイトン・J・ウッドワースとジョージ・H・フィッシャーの二人であった。7月17日に、その書籍が協会の成員の前で発表された際に、ラザフォードは4人の反対者が正式な理事会のメンバーでないことを根拠に、理事会から解雇し、新しい4人を任命した。これに対して5時間に及ぶ反対デモが起こり、8月8日にはそれら4人とその支持者たちは組織を去り、アメリカ・カナダ・ヨーロッパの各地で反対運動を起こした。ラザフォードは翌年1918年1月の年次総会で再度選挙を行い、その結果4人の反対者は一人も投票による支持を得なかった。最高投票数を得た7人の理事会のメンバーによって、会長はジョセフ・フランクリン・ラザフォードに、副会長はチャールズ・H・アンダーソンに、会計秘書はW・E・バン・アンバーグが任命された。反対者たちは3月26日に独立した主の記念式を執り行い、完全に組織から離れ去った。この時期に2万1千人ほどの成員のうち、4000人弱の人々は組織から離れ去った。
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