紀勢本線全通とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:08 UTC 版)
「紀伊 (列車)」の記事における「紀勢本線全通とその後」の解説
1959年(昭和34年)7月15日:紀勢本線全通により、東京駅 - 新宮駅間で毎日運転の臨時列車として急行「那智」(なち)が運転開始。東京駅 - 多気駅間は「伊勢」と併結運転。 9月22日:「那智」が定期列車化され、「伊勢」とともに東京駅 - 名古屋駅間で「能登」と併結運転を行う。 9月26日:伊勢湾台風により運行休止。同年10月23日より11月25日の関西本線復旧まで東海道本線・草津線経由で迂回運転。 1961年(昭和36年)10月1日:「那智」「伊勢」が、「能登」との併結運転を中止。 1962年(昭和37年)3月10日:「大和」に東京駅 - 和歌山市駅間の2等寝台車1両が連結開始(和歌山線内では普通列車と併結運転)。 1964年(昭和39年)10月1日:東海道新幹線開業に伴うダイヤ改正に伴い、以下のように変更。「大和」が全車寝台化。 「伊勢」が全車指定になり、下りは「大和」と、上りは「那智」と併結運転開始。 「那智」の運転区間が東京駅 - 紀伊勝浦駅間に変更。併結列車が観光団体列車「南紀観光」に、上りは「伊勢」に変更。 1965年(昭和40年)10月1日:このときのダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。「大和」と「能登」の併結運転が再開。 「那智」と「伊勢」の併結運転が再開。
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